下関市立しものせき水族館「海響館」の見どころ!話題の水族館で海の仲間と出会う
下関市立しものせき水族館「海響館」は、関門海峡に面して建つ地下1階、地上4階の水族館。 それぞれのゾーンには見どころがたっぷり! その魅力をぞんぶんにお伝えします♪ 日本最大級のペンギン展示...
更新日: 2021年12月3日
下関ベイエリアの歴史スポットへご案内!
関門海峡は古くから九州・日本海側と瀬戸内上方へつながる海運の要衝であったため、
しばしば覇権争いの場となり、歴史のターニングポイントとなった舞台が多く点在しています。
壇ノ浦の戦、下関(馬関)戦争、巌流島の決闘など、
歴史の教科書にも載っているあの場所へ足を運んでみませんか?
平安時代に武家として政権を確立し、栄華を極めた平家一門。しかし、敵対していた源氏を中心に反対勢力が反旗を翻し、5年間に渡る源平合戦へと発展していきました。全国に及んだその戦いの最終決戦が「壇ノ浦」で繰り広げられ、ついに平家一族は滅ぼされてしまいました。
【寿永4(1185)年】
【平 氏】艦船:500、総大将:平知盛
vs
【源 氏】艦船:830、総大将:源義経
歴史的な古戦場を一望する
海辺に細長く広がる公園で壇ノ浦の古戦場や上空に関門橋を眺められます。園内には二位尼辞世の歌碑や古戦場の碑など当時をしのぶ石碑をはじめ、義経と知盛が戦うダイナミックな像が立っています。
海峡を背景に立つ八艘飛びの義経像と知盛像
平家をしのぶ朱塗りの神宮
源氏に敗れ、入水して亡くなった安徳天皇を祀る神社。平家の武将たちが怨霊となって現れる怪談『耳なし芳一』の舞台でもあり、七盛塚があります。毎年5月には安徳天皇の霊をなぐさめる先帝祭が行われます。
関門海峡を望む巨大な水天門
最終決戦始まりの地
壇ノ浦の戦いに先立ち、義経が数日間斎戒沐浴して戦勝祈願を行った神社。合戦当日は開戦の合図として、ここから平家軍がいる彦島へ矢を放ちました。のちに地元の漁民が、この戦勝の神を祀り社に鎮めたと伝わっています。
鳥居から社殿までは115段の石段が延びる
戦勝や栄華、五穀の神など4柱を祀る
攘夷(外国勢力を撃退するという思想)を藩論としていた長州藩は、文久3(1863)年に馬関海峡(現在の関門海峡)に砲台や軍艦を配備し、航行中のアメリカ・フランス・オランダ船を砲撃しました。下関事件と呼ばれるこの出来事が引き金となり、翌年、長州藩はアメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国による報復を受け、砲台・軍艦ともに破壊されてしまったのです。下関戦争の敗戦を受けて、攘夷が不可能と悟った長州藩はのちに倒幕運動へ進むこととなりました。
下関事件【文久3(1863)年】
長州藩 vs アメリカ・フランス・オランダ
四国艦隊下関砲撃事件【文久4(1864)年】
長州藩 vs イギリス・フランス・オランダ・アメリカ(軍艦17隻)
壇之浦の戦場を一望する公園に、下関戦争で使われた大砲のレプリカがあります。関門海峡を向いた大砲は迫力があり、激しい戦が行われた当時を物語っています。
100円を入れると煙と発砲音が出てくる
下関事件でアメリカ・フランス・オランダ船を砲撃した大砲が設置されていた場所。関門海峡に面し、現在は砲台跡地として整備されています。
現地の説明板から、アメリカ・フランス軍に占領された様子が分かる
現在の様子
江戸時代初期。剣豪として名を馳せていた宮本武蔵と佐々木小次郎。慶長17(1612)年4月13日、二人の果たし合いが行われたのが巌流島です。のちに、この決闘で敗者である佐々木小次郎の流派「巌流」の名が残され、巌流島と呼ばれるようになりました。
【慶長17(1612)年】
宮本武蔵 vs 佐々木小次郎
関門海峡に浮かぶ巌流島
巌流島へのアクセス
9時から16時の間で下関からは唐戸桟橋、門司からはマリンゲー
トもじから毎時1、2往復運航しています。運賃は下関発着、門司発着
ともに往復900円。
海峡を背景に立つ文学碑
舟をモチーフにした石碑と決闘の地を記した木碑があります。石碑には、対決する武蔵と小次郎の姿と、小説家村上元三の『佐々木小次郎』の一節が刻まれています。
バックには関門橋と下関、門司の街並みが広がる
武蔵が島に渡った船を再現
もとは山陰方面で使用されていた伝馬船。武蔵が伝馬船に乗って島に渡ったという当時をイメージして、人工海浜に設置されました。
伝馬船が置かれた海岸はテレビドラマのセットのよう
戦いをリアルに再現した2体の像
島のシンボルとなっている武蔵と小次郎の像。武蔵像は小次郎像の約4か月後に除幕され、武蔵が決闘に遅れたとされる話を再現したといわれています。
海峡を背に立つ躍動感あふれる像
日清戦争の講話会議の舞台
明治27(1894)年に開戦した日清戦争で、翌年、伊藤博文らにより日清講和条約(下関条約)が締結された場所。講和会議は2階の大広間で行われ、現在は隣接地に当時の部屋を再現した日清講和記念館が建っています。
現在はふぐ料理の老舗として営業している
明治39(1906)年に建てられた
下関が外交や貿易の拠点になると見出した、駐日英国公使アーネスト・サトウの働きかけによって建設された英国領事館。現在は本館の一部をギャラリーとして公開し、2階はレストランとして利用されています。
館内は無料で見学することができる
観光情報を観光地ごとに紹介する雑誌スタイルの旅行ガイドブック「まっぷるマガジン」。その取材スタッフや編集者が足で集めた「遊ぶ」「食べる」「買う」「見る」「泊る」のおすすめ情報をご紹介しています。