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保科正之

江戸時代前期の陸奥国会津藩主。父は徳川2代将軍の秀忠。子供のころに信濃国高遠藩主の保科正光の養子となり、正光の死後高遠藩主を継ぐ。異母兄にあたる徳川家光に従って上洛し、その後出羽山形、会津を領とする。家光が残した遺命として、まだ幼かった4代将軍家綱の補佐として幕政を治めた。いっぽうで自身の会津藩の藩政にも力を注ぎ、家臣の編成、行政整備、農民の生活向上策、現在の年金制度にあたる高齢者扶養手当など、領民の生活向上などを行った。これらは「会津家訓十五箇条」として会津藩政の基礎となる。

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