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会津五街道はなぜ整備された?~福島県域各地と会津を結ぶ5つの街道~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月17日

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会津五街道はなぜ整備された?~福島県域各地と会津を結ぶ5つの街道~

会津若松から東北の各方面へと延びていくのが会津五街道です。
なぜ会津を中心に五街道が整備されたのか、そこに込められた意図を探ります。

五街道は江戸幕府が整備したネットワーク

1604(慶長9)年、江戸幕府は日本橋(東京都中央区)を起点とする5つの幹線道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)を整備しました。道中には宿場を設置し、各宿場に伝馬制(てんませい)を義務づけ、一里塚を設けるなど、五街道を基幹として日本中の隅々まで幕府の支配が及ぶようにネットワークが敷かれたのです。

奥州街道は福島県域を通る

このうち福島県域にかかわるのは奥州街道です。日本橋から宇都宮宿(栃木県宇都宮市)までは日光街道と重複し、その先で奥州方面へと向かうのが奥州街道であり、福島県域には白坂宿(白河市)から入り、中通りを通って須賀川宿、二本松宿、福島宿などを通過し、越河宿(こすごうじゅく)(宮城県白石市)へと抜けていきます。

福島県域の主要街道と宿駅

福島県域の主要街道と宿駅
『図説 福島県の歴史』(河出書房新社、1989年)を元に作成

主要な城下町のあいだを結ぶように街道ができていきました。須賀川宿、郡山宿など、諸街道の結節点となる宿場はとくに栄えました。

会津五街道は奥州街道の外れにある会津若松城下のための道路網

会津若松は奥州街道からは外れ、内陸に位置していましたが、伊達氏(仙台藩)、佐竹氏(秋田久保田藩)、上杉氏(米沢藩)といった外様大名を牽制する役割を負っていたことから、会津若松城下に通じる独自の道路網が整備されていきました。

会津五街道は会津若松と東北・北関東の各要所を結んだ

1649(慶安2)年、藩主・保科正之は5つの街道(越後街道、下野(しもつけ)街道、白河街道、二本松街道、米沢街道)を幕府に届け出ました。この5つの街道は大町四つ角に設置された制札場(せいさつば)「札之辻(ふだのつじ)」(大町一之町(おおまちいちのまち))を起点として放射状に延びています。

会津五街道①:越後街道

越後街道は会津若松と新発田(しばた)藩(新潟県新発田市)をつなぎ、佐渡金山へとつながる佐渡三道(三国(みくに)街道、北国(ほっこく)街道)のひとつとされました。太平洋側と日本海側を結ぶ重要な街道で、日本海側の海産物を会津にもたらしました。また、新発田藩や村上藩(新潟県村上市)が参勤交代で江戸にのぼる際に利用したことから「殿様街道」とも呼ばれました。

会津五街道②:下野街道

下野街道は会津若松と今市(いまいち)(栃木県日光市)を結ぶ街道で、関東側では会津西街道と呼ばれました。回米や物資流通、日光東照宮への参詣などにも用いられ、街道筋は賑わいを見せました。

しかし、1683(天和3)年の大地震で男鹿川(おじかがわ)が堰き止められて五十里湖(いかりこ)(栃木県日光市)が出現すると、藩の公用には白河街道が用いられるようになりました。

会津五街道②:下野街道

下野街道の宿場である大内宿(南会津郡下郷町)。現在も茅葺き屋根の民家が建ち並び、当時の姿をしのばせます。

会津五街道③:白河街道

その白河街道は、滝沢・勢至堂(せいしどう)峠を越えて白河へと至ります。白河街道は奥州街道へと接続するため、奥州の諸藩にとって参勤交代の際によく用いられることとなりました。

会津五街道④:二本松街道

二本松街道は、会津若松から猪苗代を経由して二本松藩(二本松市)へと至る街道です。江戸時代には幕府によって一国一城令(1615年)が制定され、居城以外の城は破却しなければなりませんでしたが、例外的に猪苗代城(耶麻郡猪苗代町)は存置され、城代が置かれていました。

また、保科正之は死後に土津(はにつ)神社(耶麻郡猪苗代町)に祀られたので、参詣のため、若松城と猪苗代城の往来を整備する重要性は高くなっていました。

会津五街道⑤:米沢街道

米沢街道は会津若松と米沢藩(山形県米沢市)を結びました。米沢藩の参勤交代の往還に用いられることはなかったものの、会津若松藩との人や物の交流を支えたのです。

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Part.1:地図で読み解く福島の大地

・阿武隈山地や奥羽山脈が境目!浜通り・中通り・会津の3地域
・いわきで発掘された首長竜化石フタバスズキリュウとは?
・福島市がぽっかり入る福島盆地はどうやってできた?
・福島発展の礎を築いた常磐炭田
・磐梯山の大噴火と裏磐梯・五色沼湖群の形成
・猪苗代湖畔からウニ化石!?劇的な会津の地形の成り立ち
・石川町が日本三大産地のひとつ ペグマタイトとはどんな岩石?
・大改修から100年が経過 暴れ川・阿武隈川の今と昔

などなど福島のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2:福島を駆け抜ける鉄道網

・東北本線旧線の黒磯~白河間には明治時代の面影が残されている!?
・日本最大のC62形SL牽引「ゆうづる」が走った常磐線
・かつては東京と新潟を結ぶ架け橋、会津地方の大幹線・磐越西線
・東京・浅草から特急が直通しトロッコ列車も走る会津鉄道
・かつて硫黄輸送で活躍した猪苗代町の沼尻鉄道とは?
・只見川に架かる数々の鉄橋ほか 魅力いっぱい絶景鉄道・只見線

などなど福島ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3:福島で動いた歴史の瞬間

・人間の歯や骨をペンダントに!?原始福島の不思議な弔い
・東北地方最古の前方後円墳!会津大塚山古墳が示す会津の力
・浜通りに古代製鉄遺跡を発見! なぜ大規模な製鉄が行われた?
・中世史総論(関東武士が進出し国盗り合戦!白河・伊達・蘆名・岩城氏の攻防)
・南北朝時代に南朝が拠点とした幻の寺院城郭・霊山寺とは?
・伊達氏のルーツは福島にあり!奥州制覇を果たす道のり
・相馬地方を約700年統治した古豪・相馬氏とはどんな一族?
・奥州きっての城下町・若松はどのようにして生まれた?
・会津若松城で籠城戦を続けた会津藩が開城に至るまで

などなど、激動の福島の歴史に興味を惹きつける。

Part.4:福島で育まれた産業や文化

・最澄と大論戦した僧・徳一が開祖!慧日寺から始まった会津の仏教文化
・猪苗代湖の水を郡山へ! 幹線延長52㎞の安積疏水事業
・県境には二ツ小屋隧道が残る 福島と米沢を結んだ万世大路
・東北唯一の中央競馬場が福島市につくられたわけ
・幕府直営の半田銀山 明治時代は五代友厚が経営
・感染症と闘い続けた細菌学者・野口英世の生涯
・日本酒の金賞受賞数日本一!福島の地酒はなぜすごい?

などなど福島の発展の歩みをたどる。

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