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福島県域の江戸時代~領主が定着した会津地方と交代が激しい中通り・浜通り

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

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福島県域の江戸時代~領主が定着した会津地方と交代が激しい中通り・浜通り

江戸時代の会津県域には、会津藩(23万石)を上回るような大藩は成立しませんでした。
その理由としては、江戸との距離の近さが考えられます。

【江戸時代の福島・会津】保科氏の治世が長く続いた会津藩

1603(慶長8)年、徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸に幕府を開くと、以降、福島県域にもさまざまな藩が成立することになります。

地方別に見ていくと、会津は蒲生氏、加藤氏の時代を経て、1643(寛永20)年に保科正之(ほしなまさゆき)が23万石で会津藩主に移封(いほう)されてきます。保科正之は3代将軍・家光の異母弟であり、会津藩主の座は幕末まで保科氏(3代目からは松平姓)が受け継いでいきました。

【江戸時代の福島・会津】保科氏の治世が長く続いた会津藩

会津若松城(鶴ヶ城)。現在の天守は1965(昭和40)年の復元。のちに幕末時代同様の赤瓦に葺き替えられました。

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