フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 秋田県 >

清原氏は後三年合戦により滅亡した~北東北を支配した出羽の豪族~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年6月29日

この記事をシェアしよう!

清原氏は後三年合戦により滅亡した~北東北を支配した出羽の豪族~

平安時代後期の東北は、前九年合戦と後三年合戦で揺れました。
両合戦ともに、現在の横手市付近を拠点とした清原氏が大きく関与していました。

清原氏の源流とは

平安時代に出羽国(でわのくに)で頭角を現したのが清原氏でした。清原氏の出自については、平安時代末期に成立した軍記物語『陸奥話記(むつわき)』に「俘囚主(ふしゅうしゅ)」と表記されていますが、元慶(がんぎょう)の乱の際に京から派遣された在庁官人の清原令望(よしもち)とする説もあるようです。

清原氏の本拠地は横手市付近だったとする説が有力

清原氏が本拠地としたのは横手市付近であると推測されています。現在の横手市役所本庁舎から北東に2㎞ほど離れた場所にある大鳥井山(おおとりいやま)遺跡は、清原氏の拠点のひとつであると考えられています。

清原氏は雄勝、平鹿(ひらか)、山本の山北三郡を支配し、各地に一族を配置し、一族郎党を武装化して強力な勢力を形成していきました。

清原氏が活躍した「前九年合戦」

この時期に陸奥北部で広大な領域を支配していたのが安倍氏です。「酋長(しゅうちょう)」を自称する俘囚長の安倍氏は、奥六郡(おくろくぐん)(岩手、志和(しわ)、稗貫(ひえぬき)、和賀(わが)、江刺(えさし)、胆沢(いさわ))を支配し、朝廷から「六箇郡の司」の地位を認められていました

ですが、安倍氏は独立心が強く、次第に朝廷に従わなくなっていきます。その結果、1051(永承6)年に朝廷は安倍氏を諫めるために、陸奥守・藤原登任(なりとう)に奥六郡への出陣を命じるのでした。この戦いを「前九年合戦」といいます。

緒戦で敗北を喫した朝廷側は、藤原登任を更迭し、河内源氏(かわちげんじ)初代棟梁・源頼信(よりのぶ)の嫡男である源頼義(よりよし)を陸奥守に任じて安倍氏討伐にあたらせました。源頼義は安倍頼時(よりとき)を討ったものの、その後は苦戦が続き、清原氏に協力を要請するのでした。

清原氏は安倍氏鎮圧に多大な貢献をした

清原氏当主の光頼(みつより)は、当初は中立的な立場を貫いていましたが、源頼義が「奇珍の贈物」を続けて、繰り返し参戦を依頼してきたため、1062(康平5)年、ついに弟・武則(たけのり)を派遣します。

清原氏の参戦で形勢は逆転し、朝廷軍はまたたく間に安倍氏の拠点である厨川(くりやがわ)の柵や嫗戸(うばとの)柵(ともに岩手県盛岡市)を攻め落とし、安倍貞任(さだとう)を破りました。清原氏の参戦からわずか1カ月で、安倍氏は滅亡に追い込まれたことになります。

清原氏の家督争い「後三年合戦」

戦後、清原武則は鎮守府(ちんじゅふ)将軍に任じられ、安倍氏の旧領を併合して北東北を支配する実力者となりました。

その後、武則の子・武貞(たけさだ)が没すると、1083(永保3)年に3人の子(真衡(さねひら)、家衡(いえひら)、清衡(きよひら))のあいだで後継者争いが勃発。三子のうち清衡は、武貞が安倍頼時の娘を娶(めと)ったときの連れ子(父親は安倍氏一門の有力豪族・藤原経清(つねきよ))でした。この家督争いを「後三年合戦」といいます。

後三年合戦

後三年合戦
『図説 秋田県の歴史』(河出書房新社、1987年)を元に作成

1086(応徳3)年、源義家は大軍を引き連れ、家衡がたてこもった沼柵を攻めましたが落とせませんでした。家衡は叔父・武衡のすすめで金沢柵に移り籠城しましたが、1087(寛治元)年に義家軍の猛攻により落城しました。

清原氏の滅亡と奥州藤原氏の始まり

後三年合戦は、源義家(よしいえ)(頼義の子)を味方につけた清衡が勝利し、合戦後、清衡は清原氏の旧領をすべて受け継ぎ、現在の青森県、岩手県、秋田県のほぼ全域を支配することになりました。

さらに実父の姓に復して藤原清衡と名乗りを改めました。これが奥州藤原氏の始まりです。奥州藤原氏は平泉(岩手県西磐井(にしいわい)郡)を中心に独自文化を花開かせていきますが、清原氏はこの合戦で滅亡したことになります。

『秋田のトリセツ』好評発売中!

地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から秋田県を分析!

秋田県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。秋田の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報を満載!

Part.1 地図で読み解く秋田の大地

・秋田県の地形総論
・火山の痕跡や地殻変動を体感!男鹿半島ぐるり1周ジオ巡り
・世界最大の二重カルデラ湖「十和田湖」はどうやって生まれた?
・地下にかつての雄物川の流路!? 秋田平野が形成の驚きのしくみ
・黒川や雄物川流域に油田続々!秋田ではどうして油が採れる!?
・ブナ林が発達し海成段丘が縁取る 起伏が激しい白神山地の形成史
・美しき田園・象潟の九十九島は鳥海山の山体崩壊でできた
・大館・鷹巣・鹿角盆地と能代平野 米代川流域に形成された地形の謎

Part.2 秋田を駆ける充実の交通網

・全国2番目のミニ新幹線、E6系「こまち」が走る秋田新幹線
・一部レール幅を変えて新幹線もいく!福島~青森を結ぶ幹線・奥羽本線
・新津~秋田を結ぶ日本海側の動脈 寝台特急「日本海」も走った羽越本線
・米代川に沿って走る本州横断線 スイッチバックも見事な花輪線
・東能代~川部を結ぶ絶景ローカル線 「リゾートしらかみ」が走る五能線
・鷹巣と角館を結ぶ旧国鉄角館線 秋田内陸縦貫鉄道は見どころ満載!
・釜石~横手~本荘を結ぶ大計画も!? 由利高原鉄道鳥海山ろく線がすごい
・小坂鉱山の鉱石輸送のため開業 旅客輸送も担った幻の小坂鉄道/昭和40年代に消えたローカル私鉄 羽後交通の雄勝線・横荘線とは?

Part.3 秋田の歴史を深読み!

・秋田の古代史総論
・大型住居跡やストーン・サークルなど秋田県の縄文遺跡がおもしろい!
・出羽柵が遷置・整備されて秋田城と呼ばれるようになった
・奥羽を支配した出羽の豪族・清原氏が後三年の役により滅亡
・秋田の中世史総論
・八郎潟東岸を拠点とする大河兼任が鎌倉幕府に対して反乱を起こす
・秋田の近世史総論
・佐竹氏の入部以降、鉱山開発が進み鉱業が秋田藩の財政を支えた
・古来より栄えていた舟運に加え街道が整備され交易が盛んに!
・近現代史総論/奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側へ 秋田藩の戊辰戦争と戦後のゆくえ
・日本最後の空襲となった土崎空襲 どうして土崎港が狙われたのか?

Part.4 秋田で育まれた産業や文化

・全国屈指の産油量だった秋田県がシェールオイルの開発・商業生産へ
・秋田港、船川港、能代港 三つの重要港湾が海上輸送網の拠点
・国内有数の米どころ・秋田県は農業産出額の5割以上を米が占める
・かつては国内2位の広さを誇る湖!? 八郎潟の干拓と大潟村の歴史
・古来より建材や工芸品に用いられた秋田杉の活用と保存の取り組み
・日本のロケット発祥の地は秋田県の道川海岸だった!
・地熱発電や風力発電などの再生可能エネルギーの導入が加速
・県内各地で伝承されている民俗芸能 国指定重要無形民俗文化財は国内最多!

『秋田のトリセツ』を購入するならこちら

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 秋田県 >

この記事に関連するタグ