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名村造船所跡をリノベした複合型イベントスペース、クリエイティブセンター大阪 123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月12日

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名村造船所跡をリノベした複合型イベントスペース、クリエイティブセンター大阪

住之江区北加賀屋には、 一風変わったイベントスペースがあります。 明治の終わりに設立された造船会社の工場跡地がアートの聖地へと変貌した経緯をたどりましょう。

名村造船所跡地:名村造船所設立経緯

20世紀の初頭から高度経済成長期にかけて、大阪市では日立造船や大阪造船所(現・ダイゾー)などの大手企業による造船所が活況を呈しました。名村造船所も、そのうちのひとつです。

名村造船所は、実業家の名村源之助(なむらげんのすけ)が1911年に設立しました。安治川(あじかわ)河口近くにあった鉄工所を原点とし、1913年に難波島(なんばじま)(大正区)へと会社を移転。堅実な経営で第一次大戦後の不況を乗り切り、1931年4月に株式会社へ改組しました。その翌年、住之江区北加賀屋の木津川(きづがわ)河口に大阪工場が建設されます。

名村造船所の当時の様子

当時の敷地面積は、工場部分だけで約9万2415㎡もあり、工場前の部分を含めると、約10万㎡(東京ドーム約2個分)となりました。戦時中から戦後まもなくの時期、4万トン級の船舶が建造され、進水式には関係者はもちろん、近隣住民もつめかけました。最盛期には造船所に向かう観光バスが運行されたといいます。

当時、木津川河岸に沿って大きな船の並んでいる名村造船所の対岸には、戦前に国内最大規模の民間飛行場だった木津川飛行場(大阪飛行場)がありました。

名村造船所の高度経済成長期

ところが、高度経済成長期に入ると大型船舶の需要が増大し、キャパシティの問題で大型船の建造がむずかしい大阪工場に代わって、1974年に新工場が佐賀県伊万里市(いまりし)に建設されました。製造拠点が移されるとともに、大阪工場は1979年に閉鎖されました。1988年には土地が不動産会社に返却され、工場は正式に休眠状態となりました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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