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平安時代の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

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『和泉式部日記』から読み解く和泉式部の恋愛と生涯

現代でも親しまれる平安中期に和泉式部によって書かれた『和泉式部日記』。そこには恋に生き、男性に翻弄された彼女の人生の回想録が記されています。 和泉式部が自分の言葉で自己を表現した『和泉式部日記』から...

『紫式部日記』から読み解く紫式部の人生と性格

2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の放送で、改めて脚光を集める紫式部。 『源氏物語』の作者として知られる紫式部ですが、宮廷で中宮彰子に仕えた日々を綴った『紫式部日記』もまた、彼女の代表作として...

空海の高野山開創~都から離れた高野山を真言密教の修禅道場とするため、奔走した空海

空海が高野山を開いたのは、およそ1200年前。嵯峨天皇に高野山下賜を願い出たのは、空海が43歳の時です。 空海が都から遠い紀伊山地に位置する高野山を真言密教の修禅道場と決めたのには、理由がありました...

空海の弟子にはどんな人物がいる?空海を支えたさまざまな出自の愛弟子たち。なかには「最澄の後継者」と目されていた人物も

空海の密教がまだ新興勢力だった頃。初期の空海を支えた愛弟子たちには、肉親、同郷出身者、元皇族、最澄(さいちょう)の元弟子などさまざまな出自の僧たちがいました。 空海は、まずは身内をメンバーにして基盤...

空海が行った山岳修行~西日本の霊場で修行に励んで出家、その後悟りを開き「空海」となったのは22歳だった

空海の幼名は、佐伯真魚(まお)。22歳で大学寮を退学した後以降の空海の足取りは不明です。795年、空海は22歳で悟りを開くことになりますが、どこで修行をしていたのでしょうか。 出家したものの正式な学...

空海は「うどん県・香川」の生みの親?空海が唐から持ち帰ったと伝わる食べ物とは

空海は、讃岐国(香川県)の生まれ。現代ではうどん県として名高い香川県ですが、うどんを伝えたのは空海だったようです。遣唐使時代に唐へ留学していた空海は、うどんの他にも多くのものを日本へ伝えていました。...

藤原頼通~半世紀も摂関の座を占めた男から始まる藤原氏の終焉

藤原頼通は、平安時代を謳歌した藤原道長の子。若くして摂政となった藤原頼通ですが、そのおよそ50年後、外戚の地位を失うと、藤原氏の地位は急速に低下していきます。宇多天皇以来170年ぶりの、藤原氏を外戚と...

藤原兼家の摂政への道~氏長者を巡る争いに敗れるも諦めなかった策略家

藤原兼家(ふじわらのかねいえ)は、藤原道長の父。藤原兼家は、権力の座をめぐって兄・兼通(かねみち)と激しく対立します。兄に疎まれていた藤原兼家は、関白の座から遠ざけられても権力奪取の機会を諦めてはいま...

藤原隆家~中関白家としての没落から、大宰府での刀伊撃退まで

藤原隆家は、藤原道長の甥。藤原隆家は兄・伊周と道長の関白の座をめぐる争いに敗れ、大宰府の地に赴くも、その20年後に歴史の舞台に再び登場します。異民族襲来という未曾有の危機を退けたのが、花山法皇狙撃事件...

刀伊の入寇~異民族襲来という未曽有の危機。撃退したのは藤原のあの人物だった!

藤原道長が望月の歌を詠んだ翌年、北九州沿岸を女真族の船団が襲撃し、多くの住民が捕虜となりました。地元の豪族らとともに防戦に努め、刀伊の撃退に成功したのは、失脚して左遷されていたあの人物でした。...

平安時代の後宮ってどんなところ?紫式部が暮らしていた後宮の生活とは?

貴族の文化が栄えた平安時代の後宮。政権を手に入れるため、藤原氏たちは娘を競って帝(みかど)に入内(じゅだい)させますが、皇子が誕生しなければ家の将来はありません。 どうやったら、天皇の寵愛を受け...

平安時代の文化~国風文化における貴族の娯楽・恋愛・結婚。その宗教観を知る~

平安時代の文化として一番にあげられるのが、国風文化です。 国風文化とは、従来の唐風(とうふう)(中国風)文化に代わる日本独自の和風文化のこと。 9世紀の遣唐使廃止をきっかけに変化したともいわれます...

平安時代の藤原氏~宮廷と政治を掌握し栄華を極めた一族

平安時代を知るためのキーワードとして外せないのが、藤原氏です。 権力闘争を繰り返し、摂関政治を極めた藤原氏ですが、その始まりは飛鳥時代の教科書にも出てくる有名な人物だということをご存知でしょうか。ま...

藤原道長とはどんな人物だったのか~藤原氏の全盛期を担った大貴族と紫式部の秘められた関係

藤原道長が生きたのは、摂関政治の最盛期。摂関家として藤原道長は、どのようにしてその頂点へ立つに至ったのでしょうか? 平安時代中期にかけて藤原氏は、他氏排斥に注力します。その後、藤原氏族内の権力を...

紫式部~紫式部が『源氏物語』を執筆するに至った背景とその後の人生

学者の家系に生まれた少女・紫式部は漢籍の知識豊かな女性へと成長し、和歌で愛を深めて結婚します。しかしその3年後、『源氏物語』を書き始めるきっかけとなった大きな出来事が、紫式部の人生を揺るがします。 ...

紫式部と源氏物語~源氏物語の執筆背景と制作過程~

愛情と政治が密接に結びついた平安後期。その時代に生まれ後宮に出仕していた紫式部が書いた『源氏物語』。 紫式部が蓄積した経験が、一大小説へと昇華されていく背景とはどのようなものだったのでしょうか。三部...

源氏物語のあらすじ~源氏物語の3部構成をかんたんまとめ~

源氏物語は、熾烈な権力闘争が行われていた平安時代に、後宮に仕えていた紫式部が書いた物語です。 光源氏の誕生から始まる源氏物語は、恋多き貴公子の一生を追うストーリー展開。 正妻を失った光源氏が強...

藤原彰子とはどんな人物だったのか?~紫式部日記から読み取る中宮・彰子~

藤原彰子(ふじわらのしょうし)は一条天皇の中宮(后)。 『源氏物語』が成立した1000年頃、貴族文化が花開いた時代に生きた女性です。 平安貴族たちは優雅さの陰で、家の浮沈をかけた熾烈な権力闘争...

紫式部と清少納言、二人の関係を探る~平安時代の文化発信源となった二人の女房

『源氏物語』を書いた紫式部と『枕草子』の清少納言。 平安時代の後宮で中宮(后)の教育係として、文化サロンの発信源になった二人の女房たち。 紫式部と清少納言の関係はどういうものだったでしょう。 ...

紫式部の死因に迫る!源氏物語・紫式部日記を書いた紫式部のお墓はどこにある?

貴族が謳歌していた頃の平安時代、中宮彰子に仕え、後宮で華々しく生きた紫式部。 源氏物語と紫式部日記という、千年以上経った現在でも色あせることがない2つの作品を後世に残してこの世を去った紫式部の死因と...