平維盛の妻「北の方」は安徳天皇を伴って能勢へ逃れた「源のすけ」という人物か?!
江戸末期の文化14年(1817年)、摂津国能勢(現大阪府豊能郡能勢町)の民家の屋根裏から発見された古文書は、平安の貴族藤原経房が息子にあてた遺書でした。 そこには壇ノ浦から安徳天皇を守って山里能勢ま...
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江戸末期の文化14年(1817年)、摂津国能勢(現大阪府豊能郡能勢町)の民家の屋根裏から発見された古文書は、平安の貴族藤原経房が息子にあてた遺書でした。 そこには壇ノ浦から安徳天皇を守って山里能勢ま...
円錐形の山容が美しく、「薩摩富士」として親しまれている開聞岳。 この山はじつは、隠れた巨大カルデラの新しい活動よって生まれた火山でした。...
平安時代後半から室町末期まで、400年以上にわたって宇都宮周辺を支配した豪族・宇都宮氏は、『小倉百人一首』の成立にも関わった文化人武士の一族でした。...
平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、下野の武士団は源平の覇権争いや鎌倉幕府に大きな影響を与え、さらにここから室町幕府を開く足利氏が台頭します。...
関東で起こった平将門の乱は、武士の時代の幕開けを告げます。この乱で将門を破った藤原秀郷は、中世・下野国で重要な役割を果たす多くの武家の祖先でした。...
源義経ゆかりの場所は北陸に多く残ります。 源平が戦った倶利伽羅峠や『勧進帳』の舞台となった安宅の歴史に触れれば、源義経の悲劇に満ちた人生が見えてきます。...
平家のなかでも比類なき権力を誇った平時忠は、壇ノ浦の戦いで敗北し、能登へ流罪となりました。 辿り着いた能登で、平家の末裔はどのように生きたのでしょうか。...
岡山県瀬戸内市長船町(せとうちしおさふねちょう)は、刀剣の里として知られています。なぜこの場所に多くの刀工が生まれたのか。備前刀の歴史を探ってみましょう。...
吉井川(よしいがわ)の中州に広がる、備前(びぜん)福岡。かつては「福岡千軒(ふくおかせんげん)」と呼ばれ、衣料品・食料品・武器などさまざまな物品を扱う商都として多いに栄えていました。...
眼下に尾道水道や市街地、その先の因島まで見渡せる場所に建立された千光寺。 このような高い場所になぜ寺院があるのでしょうか。 その理由を探ります。...