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紫式部と源氏物語~源氏物語の執筆背景と制作過程~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月10日

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紫式部と源氏物語~源氏物語の執筆背景と制作過程~

愛情と政治が密接に結びついた平安後期。その時代に生まれ後宮に出仕していた紫式部が書いた『源氏物語』。
紫式部が蓄積した経験が、一大小説へと昇華されていく背景とはどのようなものだったのでしょうか。三部まで続く源氏物語の構成と内容、そして紫式部の草稿から冊子本がつくられた当時の製作過程と合わせて、詳しくみていきましょう。

紫式部と源氏物語:執筆された経緯

源氏物語は、紫式部が夫との死別を機に書き始めた物語です。

長保3年(1001)、夫の藤原宣孝が当時都で流行した天然痘(てんねんとう)にかかって病死し、紫式部の結婚生活はわずか3年ほどで終わってしまいます。紫式部は夫の死に触れた歌を多く残しており、深い悲しみに襲われたことがうかがえます。『源氏物語』は、それから1年ほど時を経て、寂しさを紛らわせるために書き始めたものと見られています。

物語の執筆は、彼女を喪失感から立ち直らせたようです。書いた物語を友人に見せ、実家と親交のある才人の具平(ともひら)親王にも読んでもらうなかで、その存在は都の貴人たちの間で評判となっていっていきました。やがてこの評判は、当時一条天皇に入内した娘・彰子(しょうし)に仕えさせる女房を探していた藤原道長の耳にも入ることになりました。

石山寺に伝わる「源氏の間」

『源氏物語』は石山寺(いしやまでら)で書き始めたという説が、まことしやかに伝わっています。

村上天皇の皇女で文芸サロンの主催者だった選子(せんし)内親王から「珍しい物語がないか」と問われた藤原彰子が新作物語で驚かせたいと紫式部に創作を命じ、紫式部がこの寺に籠って書き始めたというものです。これには懐疑的な見方も多いものの、当寺には「源氏の間」がしつらえられています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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