日本のお城と武将たち~名城はいかにして築かれ落城したか~
中世から戦国時代にかけて数多くつくられた日本のお城。ピーク時には数万の城があったといいます。 日本のお城は、単に居住するだけでなく、戦時の防護という役割が強く、そのため城と運命をともにした武将も城の...
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室町時代中後期の武将。伊勢新九郎、伊勢宗瑞(いせそうずい)。戦国大名となった後北条氏の祖・初代。伊勢から改称して北条を称したのは嫡男・氏綱の代からで、自身は北条早雲と名乗っていない。戦国大名の始まりであり、その活動は関東における戦国時代のきっかけとされる。足利義視(あしかがよしみ)に仕え、政所執事を務めた伊勢氏が出自。1491年、堀越公方・足利茶々丸を討ち、伊豆国制圧。1495年に小田原城を攻略、1516年に相模を平定した。
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中世から戦国時代にかけて数多くつくられた日本のお城。ピーク時には数万の城があったといいます。 日本のお城は、単に居住するだけでなく、戦時の防護という役割が強く、そのため城と運命をともにした武将も城の...
幕府の権威が衰退するとともに、戦国大名が全国各地で台頭していきます。尾張の織田氏、美濃の斎藤氏、近江の浅井氏など、下剋上によって成り上がる者もたくさんいました。 【要点はココ!】 ◎三好長慶が細川...
織田信長亡き後、天下人となった豊臣秀吉。 全国統一のため関東の支配者・北条の小田原城に進軍します。 その北条のもうひとつの砦が八王子城でした。...
難攻不落と謳われる鉢形城は、たびたび争乱の場となりました。 そのなか、築城した長尾景春と陥落させた太田道灌による争いの背景を探ってみましょう。...
源頼朝に協力した武蔵武士たちは、権力争いに巻き込まれていきます。 中世の埼玉県域は、権力者に翻弄され続け、まさに争乱の地となっていきました。...
戦国大名の先駆的な存在・伊勢盛時(北条早雲)の宿敵だったのが、三浦半島で水軍を擁した三浦氏。 彼らは、どのような一族だったのでしょうか。...
後北条氏は小田原城を拠点として、またたく間に勢力を拡大していきました。 後北条氏独自の支配体制と、難攻不落と謳われた小田原城の真の姿とはどんなものだったのでしょうか?...
平安時代中期に荘園公領制が成立し、荘園領主は実権を握り武士化していきました。 こうした東国武士団の支持を得て、源頼朝は鎌倉に武家政権を開きます。...