嵐山で川下り体験をしよう!保津川下り&嵐山トロッコ列車で京都の自然美を満喫!
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2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』で注目された明智光秀。
その光秀が丹波経営の拠点とした街が亀岡です。光秀は亀山城を築くだけでなく、城下街の整備にも力を注ぎました。その結果、光秀亡き後は、亀岡藩に引き継がれて江戸幕府からも重視され、幕末まで様々な大名が統治に関わりました。
そんな城下町としての歴史に彩られた亀岡の街を、京都の歴史探訪のプロフェッショナル、らくたび代表・山村がご案内します。
JR亀岡駅が旅のスタート地点です。
2時間半の観光お散歩プランはこのようになっています。
[AM10:00]亀岡駅
↓ 徒歩5分
[AM10:15]南郷公園・光秀像 見学10分
↓ 徒歩10分
[AM11:10]亀山城跡 参拝45分
↓ 徒歩5分
[AM11:20]まけきらい稲荷 参拝5分
↓ 徒歩1分
[AM11:26]古世親水公園 見学5分
↓ 徒歩4分
[PM11:40]聖隣寺 拝観10分
↓ 徒歩20分
[PM12:10]形原神社 参拝10分
↓ 徒歩15分
[PM12:25]亀岡駅
まずはJR亀岡駅からスタ―ト。
駅前の通りを南へ向かうと、すぐに亀山城の外堀だった池沿いに広がる南郷公園に突き当たります。
ここにあるのが大河ドラマ放映を記念して建立された明智光秀像。この亀岡の街の基礎を造った光秀を讃えて、駅正面の最高の立地に造られました。その像から左へ進み、公園の端まで来ると右に曲がると、亀山城跡入口へ到達します。
亀山城は織田信長の有能な家臣であった明智光秀によって1571年頃に築城され、光秀の丹波経営の拠点となりました。
しかし、山崎の戦いで光秀が敗れると、その後はこの地を重視した豊臣秀吉によって、一門の羽柴秀勝(信長の四男で秀吉の養子)、豊臣秀勝(秀吉の甥・江の夫 )、豊臣秀俊(小早川秀秋)や豊臣政権で五奉行の一人となった前田玄以などが入城しました。
秀吉亡き後、天下人となった徳川家康もこの城を重視し、天下普請によって、徳川家譜代家臣の岡部長盛が入城し、築城の名手である藤堂高虎の縄張りのもと近世城郭として大修築が行われ、慶長15(1610)年夏頃、本丸には5重の層塔型天守が完成したといいます。
その後、明治になって宗教法人大本の所有となりますが、大本事件によって政府により徹底的に破壊されます。しかし戦後は再び宗教法人大本が修築に取り組み、現在は森林の中、石垣と城の土台が残り、静寂な空気が数奇な歴史を変遷してきた城の歴史をそっと物語っています。見学の際は、大本本部の総合受付に申し出ると入城が可能です。
現在は、光秀が植えたとされるイチョウの子孫と伝わるイチョウの大木がある「いちょう台」まで登ることがき、保津川が流れる南側を見下ろすことが可能です。城の内部の雰囲気をより味わえるようになりましたのでぜひ登ってみてください。
亀山城跡を出て右へ曲がると、旅籠町という交差点に到着します。こちらはかつて旅籠が並んでいた通りで、当時の城下町の様子を今に伝えます。この交差点を左へ折れて進むと、左手にまけきらい稲荷の看板が出てきます。
通りから少しそれた場所に隠れるように鎮座するこの社は、亀山藩主となった松平信峯が丹波篠山から移した稲荷神が祀られています。正式名所は王子山稲荷神社なのに、どうしてこの通称名になったのか。
それは、江戸時代、幕府による相撲大会に亀山藩の力士が出るものの、いつも敗退するため藩主は悔しい思いをしていました。しかしある年は、不思議に圧倒的な強さで優勝したのです。藩主は喜んで力士を屋敷に招き入れて褒美を取らせようとしましたが、その力士は忽然と姿を消してしまいました。
あとで調べると、この力士はなんとこちらの稲荷神の化身であったとわかり、以来ますます信仰が深まり、神社名にも反映されたということです。現在も、多くの力士やスポーツ関係者などが必勝祈願に参拝に訪れています。
まけきらい稲荷に向かって入った道を戻ると、目前に広がる古世親水公園が、かつての亀山城の外堀にあたります。
この堀を後世に保存するために公園として整備が行われました。現在は、夏には子供達が水遊びをするなど、亀岡市民の憩いの場となっています。屋根のある建物の中には、野菜の洗い場として活用されていた場所が保存されており、その場所を含む公園全体に今も清らかな水が流れています。こちらにある石垣は当時のものではなく、公園整備時に新たに積み上げられました。
公園を後に、まっすぐ南へ向かうと、寺院街へと差し掛かります。京町通を越えて左側に見えてくる寺院が、臨済宗の夢窓疎石の流れをくむ聖隣寺です。
境内には羽柴秀勝が亀山城主となった際に、本能寺で亡くなった父のために供養塔を建てたとされます。周辺は現在も寺院街を形成しており、聖隣寺の南側は、寺院に沿ってかつては堀が巡らされていたことが分かっており、そのさらに南には丹波街道が現在も走っています。
また聖隣寺の塀にはいくつかの狭間が開いており、敵の侵入に備えていたことが読み取れます。このように江戸時代の亀山城下の防御の一端を見ることもできるのです。
観光寺院ではないので、拝観希望の場合は事前に連絡を。
聖隣寺から亀岡旧市街エリアともいうべき中心部へ向かいましょう。
京町通りに戻って左に折れて西へ向かうと、右手に大きな蔵が見えてきます。この界隈は10月23日から25日に行われる亀岡祭で、豪華絢爛な山鉾がずらりと建ち並ぶことでも知られ、こちらはそのうちのひとつである羽衣山の地区になります。
この蔵にはその部材が一年を通して保存されているのです。羽衣山を含めて全部で11基の山鉾は、それぞれの町内でこのように保存されているため、これらを順に巡ってみるのも楽しいですね。この京町通り以外にも、呉服町通り、旅籠通りなど、かつての街の特徴を示す名前が残り、それぞれの通りには風情ある旧家も点在しており、城下町の面影を味わうことができます。
おすすめのルートとしては、京町通りの横町の交差点を右に折れて、地元の人気の酒蔵、丹山酒造の前から呉服町通りに入り、突き当りを右に折れて北へ向かうと、最後の目的地である形原神社に到着します。
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