【会津若松】おすすめ日帰り観光プラン!レトロさんぽが楽しい♪
はずせない見どころは鶴ヶ城。2018年は戊辰戦争から150周年なので、飯盛山へも足を延ばしてみよう。七日町通り周辺が会津観光のメイン。グルメやおみやげ探しを楽しんで。...
戊辰戦争を語る上で忘れることができない白虎隊。少年たちが学んだ日新館、そして自刃した飯盛山を訪ねて、彼らが短い生涯を信念のもとに駆け抜けた証をたどっていこう。
優秀な白虎隊士を育んだ日本トップクラスの藩校
人材の育成を目的に、会津藩が享和3(1803)年に設立した日新館を復元。会津藩士の子弟は10歳になると入学し文武の両方を学んだ。大学や日本初のプール、天文台、弓道場など施設も充実。会津藩の学力水準は高かった。館内には資料館も併設し、弓道体験(300円)もできる。
見学時間目安 1時間
大成殿(左)
儒教の祖である孔子像を祀る大成殿が中央に建つ。武士の学校は儒教の教えがベースになっている。
大学(右)
優秀な生徒が通える上級学問所。素読所を卒業した500石以上の長男と選ばれた優秀な生徒が入学できた。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬならぬことはならぬものです
10歳で入学すると素読所で漢文の読みからスタート。11歳は礼法、12歳で書学を学ぶ。15歳になると馬、弓、槍、刀などの武術の修行が始まる。1クラスは町内で分けられた10人ほどで1000人以上が在籍。能力が高いと飛び級も可能だった。
水練場
日本初のスイミングプール。周囲は153m。戦いを想定して甲冑姿で泳いだり、水中乗馬や刀を使ったりして修行していた。
素読所
「論語」や「中庸」などを教科書にして学んでいた。
専門教科を学ぶ
天文学や数学、医学、蘭学など専門的なことも学んだ。
戦術を学ぶ
実技で学ぶ武術のほか、陣法の図上演習もあった。
戊辰戦争が始まり、会津藩が軍政改革を行なった際に年齢別に編成された4部隊のひとつ。白虎隊は日新館に通う藩士の子弟(約90名)を含む16~17歳で組織された。警護のための予備隊という位置づけだった。
白虎隊 16~17歳 約300名 予備隊(警護)
朱雀隊 18~35歳 約1200名 主力実戦部隊
青龍隊 36~49歳 約900名 国境警備隊
玄武隊 50歳以上 約400名 予備隊
白虎隊が出陣の命を受けた本陣
寛文年間(1661〜1673年)に、会津と白河を結ぶ白河街道に造られた本陣。戊辰戦争の際には本営となり、容保が指揮を執った。国指定重要文化財。
白虎隊出陣から飯盛山の悲劇をたどる
新政府軍が会津城下に迫った慶応4(1868)年8月22日。滝沢本陣へ向かった松平容保は、ついに少年部隊の白虎隊士中二番隊を戸ノ口原の前線へ送った。雨は激しく空腹の中、隊長とはぐれてしまった一行は、翌朝、篠田儀三郎が指揮を執ってさらに前進したが、敵の砲撃を受けた。城へ戻ることを考えた白虎隊は、飯盛山に続く洞門を抜け、山頂へ向かった。すでに体力も限界の中、城下に燃え広がる砲煙を見て話し合った結果、最期は会津武士らしくと自刃した。
悲劇の舞台となった地で白虎隊士の足跡をたどる
白虎隊の悲劇の舞台として知られる飯盛山。最期まで会津藩に尽くした少年たちの墓には、今も花や線香が絶えることがない。自刃の地から鶴ヶ城を眺めて、少年たちに思いを馳せてみたい。白虎隊の悲劇のときにはすでに建っていた国指定重要文化財の会津さざえ堂も見応えあり。
見学時間目安 1時間30分
階段を上った先は広場になっており、十九士が眠る墓がある
自刃した白虎隊士が今もこの地に眠っている。4月24日と9月24日の年2回、白虎隊墓前祭が行なわれている。
緑に囲まれた静かな場所にある。多くの参拝客が訪れる
自刃した白虎隊のなかで奇跡的に助けられて生き残った飯沼貞吉の墓。貞吉が語ったことで白虎隊の悲劇が世に知られることとなった。
昭和32(1957)年の戊辰90年祭に、仲間が眠るこの地に建てられた
戸ノ口原の戦いで敗走してきた白虎隊。この地から鶴ヶ城の天守閣が砲煙の中に見え隠れしているのを見て、議論した上で全員が自刃を決意した。
自刃の地からは今も鶴ヶ城がよく見える
白虎隊士石像が見ている方向が鶴ヶ城
もとは猪苗代湖から会津盆地へ水を引くために掘削された用水堰。戸ノ口原の戦いで退却した白虎隊士たちは鶴ヶ城をめざし、この洞穴を通って飯盛山へとたどり着いた。
白虎隊が潜った洞穴は約150mの長さ。弁天洞穴とも呼ばれる
17世紀後半に3代藩主・松平正容により弁財天像を神像として建立。白虎隊士を祀り、フランス風の洋服(軍服)姿をした隊士たちの像などが納められている。
2名の会津藩士が明治23(1890)年に白虎隊の像を制作した
美しいらせんを描く日本遺産
寛政8(1796)年に建立された六角三層の仏堂で、内部は上りと下りの通路が一度も交差しない不思議な構造。堂内で三十三観音めぐりをするため、スムーズに参拝できるように設計したとされる。
昔は三十三観音があったが、現在は会津藩道徳教本が飾ってある。美しいカーブの上り下りはぜひ体験してみよう
世界にも例がない名建築
飯盛山周辺にある2つの施設は、独自に集めた白虎隊等に関する資料を展示しているので訪れてみよう。
白虎隊や新選組に関する史料など、約1万2000点を収蔵する。白虎隊自刃の図や、生き残った隊士の手記など、見どころが多彩。
入り口には白虎隊の像も建っている
白虎隊のほか、会津藩や戊辰戦争時の両軍約5000点にも及ぶ貴重な史料を展示。会津藩の歴史に触れられる。併設の伝承茶屋では郷土料理を味わえる。
会津戊辰戦争で使われたゲベール銃も展示している
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