平城京~政争や疫病などの社会不安のなか、平城京に律令体制の中央集権国家が完成!
藤原京(ふじわらきょう)は10年で打ち捨てられ、710年、新たに平城京(へいじょうきょう)が建設され、奈良時代が始まります。唐(とう)都長安(ちょうあん)が新都のモデルとなった平城京は、住人の約7割を...
フリーワード検索
1〜20件を表示 / 全 239件
藤原京(ふじわらきょう)は10年で打ち捨てられ、710年、新たに平城京(へいじょうきょう)が建設され、奈良時代が始まります。唐(とう)都長安(ちょうあん)が新都のモデルとなった平城京は、住人の約7割を...
遷都、現代でいえば首都機能移転問題。今日も様々な角度から問われている難題のひとつです。古代には、天皇が変わる度に遷都が行われている時期がありました。また、当時の権力者の理想を追って断行した時代もありま...
鎌倉時代、鎌倉幕府は源頼朝が興したものですが、源氏の直系は3代のみ。 頼朝死後の2代目以降は、ほぼ北条氏が執権として政権を掌握しました。 北条氏のもとで本格的に稼働した武家政権とは、どのような歴史...
栽培に適した温暖な気候と地形、藩の政策などにより、みかん王国となった和歌山県。しかし紀伊国屋文左衛門の命がけの運送も忘れてはいけません。...
和歌山県が生んだ博物学の巨匠・南方熊楠(みなかたくまぐす)は、地域の自然保護にも力を注いだ、「エコロジー活動」の先駆け的存在でした。...
1543年に日本へと伝来した鉄砲。これをいち早く導入したのが和歌山の寺院「根来寺」でした。そして、鉄砲を主力とした傭兵集団も存在したのでした。...
江戸時代までの熊野三山では、究極の苦行と呼ばれる仏教儀式「補陀落渡海」(ふだらくとかい)が行なわれていました。那智の僧侶が単身で海原に旅立った理由とは何だったのでしょう?...
長浜市虎姫(とらひめ)地区には、田川の氾濫を防ぐために作られた「田川カルバート」があります。「川と川が立体交差」するこの場所の工夫とは?...
滋賀県の旧国名「近江(おうみ)」は飛鳥時代から使われていました。その起源をひもとくと、琵琶湖の存在と都からの距離が深く関係していたようすがみえてきます。...
戦国時代に滋賀県で起こった二大合戦といえば「姉川の戦い」と「賤ヶ岳の戦い」です。誰と誰が争い、どこが戦場となったのか、おさらいしていきましょう。...
奈良に平城京が置かれる前、大津に都がありました。わずか5年5か月の短い期間ながら、確かに日本の中心だったのです。ただしそこには謎が残っています。...
江戸時代の浮世絵師・歌川広重が描いた近江八景のひとつにもなっている瀬田の唐橋(からはし)。その優美な姿とは裏腹に、戦乱の舞台になったこともしばしばありました。...
他県の人は「海に面していない滋賀県にも離島はある」と聞いて驚きますが、島があるのは琵琶湖のなかの話。しかも4島あるうち1島は有人島です。...
博覧会・万博は、いつの時代も活気がわく大きなお祭りです。 特に万博は、注目のパビリオンなど記憶に残っているものもあるのではないでしょうか? ちなみに万博とは、万国博覧会、正式には「国際博覧会」。大...
遺跡の総数は、コンビニエンスストアや神社よりもはるかに多いと言われます。 加えて、毎年9000件も遺跡の発掘調査が行われています。 遥かなる時を越え明かされる、数々の遺跡から見えてきたものとは。...
持続可能な開発目標 SDGsが叫ばれる現代において、ジオパーク、ジオツーリズムは、その活動の一環となっています。 各地にあるジオパークを訪れ、地球のパワーを体感してみませんか?...
明治の鉄道開業以降、インフラの近代化が進められ日本各地に鉄道が敷かれました。 モータリゼーション化されるまでの束の間、鉄道が花開いた時代の盛衰をたどります。...
日本の気候は、日本列島の南北の長さ、高い峰々、四方を囲む海に流れる暖流寒流など、 さまざまな要素で成り立っています。 各地域の気候から生まれたご当地エピソードも合わせて見ていきましょう。...
長年、水害と向き合ってきた日本。気候変動が進む現代において、治水は喫緊の課題です。 江戸時代から取り込んできた治水対策には、今も役立っているものがあることをご存じですか?...