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長州藩は「いざというときの貯金」を作るために藩政改革に着手

それでも藩財政は楽になりませんでした。江戸幕府が大名の弱体化を狙ったこともあり、どこの藩も財政が逼迫(ひっぱく)。長州藩も同様で、1700年代には借金が嵩かさんでいました。7代藩主・毛利重就(もうりしげたか)は藩の財政を健全化すべく、藩政改革(宝暦(ほうれき)改革)に着手します。検知によって向上した4万石を藩の収入に組み込まず、「撫育方(ぶいくかた)」という別会計にしたのです。今でいうところの特別会計であり、「いざというときの貯金」です。毛利重就はこのお金を元手に、開作や塩田開発・港湾整備を実施して、さらなる増収を目指しました。こうして蓄えられた資金が、幕末の財政基盤となったのです。

長州藩の江戸後期は下関を通過する船を相手に収益を上げる

江戸時代後期(1830~1840年代)には、13代藩主・毛利敬親(たかちか)が「天保(てんぽう)改革」を行っています。このとき財政問題を担当したのが、村田清風(むらたせいふう)です。村田清風は徹底した倹約とともに、下関の「越荷方(こしにかた)」を拡充。下関を通過する船の積み荷を越荷方で買い取り商談が成立するまで一時保管して管理料を請求する倉庫業と、積み荷を担保に金を貸し付ける金融業のシステムを構築しました。西廻り航路の北前船(きたまえぶね)は瀬戸内海を経由して大坂に向かうため、必ず下関を通るのでした。下関は物流拠点として繁栄し、長州藩に多大な利益をもたらしました。長州藩の石高は幕末期には100万石くらいだったという説もあるほどです。このときの蓄財は、軍艦購入など幕末の国防に役立ったとされています。

長州藩の潤沢な経済基盤が明治維新の立役者にした

もともと長州藩には、教育熱心な土壌があります。毛利家の大幅減封を受けて帰農した武士が農村のまとめ役になっており、農村や商家にも「学問が大事である」という気風があり、江戸時代末期には藩内に1304校の寺子屋がありました。5代藩主・毛利吉元(よしもと)が創建した明倫館(めいりんかん)は、高名な儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)から激賞されています。広い視野を持つ優秀な人材を育成するためには時間とお金がかかりますが、長州藩は蓄えた財力で藩士の学びを支えました。藩がお金を出して藩士を江戸で学ばせ(官費留学)、村田清風は有能な人材を身分によらず重用する実力主義の人材改革を実施。人材育成と登用・潤沢な経済基盤という2本柱が、長州藩を明治維新の立役者にしたのでした。

長州藩の居城は萩にあるのはなぜ?

長州藩は居城候補地を「防府(ほうふ)の桑山(くわやま)」「山口の鴻ノ峰(こうのみね)」「萩(はぎ)の指月山(しづきやま)」の3カ所に絞りました。さまざまな面で検討が進められますが、防府の桑山は地盤が弱く、大内氏の本拠地である山口は避けた方が良いということで、萩が居城となりました。萩は立地的に、隣国から攻め込まれにくいところです。三角州に築城するのは広島で経験済みということもあり、守り重視で萩を選んだのではないかといわれています。しかしやはり交通の便が悪かったのか、1863(文久3)年には山口に藩庁を開き、藩主も山口に移住。そのまま明治時代を迎えたため、山口県庁は萩市ではなく山口市に置かれています。

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Part.1 地図で読み解く山口の大地

・日本最大規模のカルスト台地 秋吉台の誕生をひもとく!
・秋芳洞はどうやってできた?
・ストライプの地層とマグマが生んだ須佐ホルンフェルス
・岩の柱が林立! 玄武岩でできた俵島
・海上アルプスとも呼ばれる青海島の岩石造形
・3本の川による河川争奪の結末
・昔は陸続き!? 関門海峡誕生の秘密
・3つのマグマの胎動が鍵を握る萩と阿武の大地
・長門峡の成り立ちに迫る
・大畠瀬戸に渦潮が生まれる理由

…など

Part.2 山口を駆ける充実の交通網

・関門をつなぐ世紀の大事業は世界初の海底トンネルだった
・SL「やまぐち」号の勇姿/路線跡地を活用した遊覧車 一度は乗りたい! とことこトレイン
・山陽鉄道の建設を拒否した県都・山口の苦い歴史
・私道では日本一の長さ! 約32kmの宇部興産専用道路
・土木学会デザイン賞を受賞 絶景と調和した角島大橋
・藩主や維新志士も行き来した山陰と山陽を結ぶ萩往還
・下関と釜山を結ぶ航路は2国を結ぶ友好の懸け橋

…など

Part.3 山口で動いた歴史の瞬間

・周防鋳銭司は古代日本有数の造幣局だった!
・道真公が無実を願った場所に建立 日本初の天神さま
・平家一門最期の地・壇ノ浦
・西国の覇者が築いた「西の京 やまぐち」の基礎
・お家のために御屋形様を討つ! 陶隆房は逆臣だったのか?
・経済政策と人材育成で財政難を乗り切り雄藩に成長
・先人の情熱が生んだ錦帯橋
・奇数代藩主と偶数代藩主で菩提寺が違うのはなぜ?
・「巌流島の決闘」の真相とは

…など

Part.4 山口で生まれた産業や文化

・日本海側で夏みかん栽培? 廃藩後の萩経済を支えた主役
・全国からふぐが集まる下関
・近代捕鯨発祥の地・下関でおいしいくじら料理を食べる
・セメント町に硫酸町…地名に残る小野田の産業
・本州最西端の山口が工業県に発展したわけ
・伝統を今に伝える「錦帯橋のう飼」
・茶人に愛される萩焼の今昔とその魅力
・有楽町、原宿、代々木公園。周南市になぜ東京の地名が?
・萩市の世界産業遺産が語る長州藩のチャレンジ精神

…など

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