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萩往還は山陰と山陽を結ぶ最短ルートの街道、藩主や維新志士も行き来した街道 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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萩往還は山陰と山陽を結ぶ最短ルートの街道、藩主や維新志士も行き来した街道

萩市(はぎし)の城下町から防府市三田尻(ほうふしみたじり)を、ほぼ直線で結んでいる萩往還(はぎおうかん)。中国山地を最短距離で越えるこの街道は、いつごろ、なぜ開かれたのでしょうか。

萩往還が整備された背景~藩主が江戸へ出向く道として山陽と山陰を結ぶ必要があった

戦国時代において毛利氏は、中国地方8カ国を治める大大名でした。しかし関ヶ原の合戦で敗北したことにより、領国を防長(ぼうちょう)2カ国に減らされ萩に移封されてしまいます。1603(慶長8)年には徳川家康が征夷大将軍に任命され、政治の中心は京都から江戸へ移りました。この時代にはまだ参勤交代の制度は成立していませんが、幕府が江戸にある以上「国元の大名が江戸へ行く回数が増える」というのは明白だったでしょう。

この当時、中国地方の主要道路といえば山陽道でした。日本海側の萩は山陽道から遠く、交通の便がよくありませんでした。藩主が江戸へ出向く際の道として、また城下町の発展を支える物流網として、山陽と山陰を結ぶ新たな道が必要だったのです。

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