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鬼ノ城はなぜ築城されたのか

663( 天智天皇2)年8月、日本・百済(くだら)連合軍は白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に敗北します。このまま唐・新羅連合軍が日本本土に侵攻してくることを恐れた朝廷は、国防に注力。特に朝鮮半島からの侵攻ルートとなる九州や瀬戸内海には、水城(みずき)・山城(やまき)(古代山城)が築城されます。文献に登場するのが、高安城(たかやすのき)・茨城(いばらき)・常城(つねき)・長門城(ながとのき)・屋嶋城(やしまのき)・大野城(おおののき)・基肄城(きいのき)・鞠智城(くくちのき)・金田城(かなたのき)の9城。鬼ノ城の名前は記されていませんが、築城年が7世紀後半ということもあり、「唐・新羅連合軍の侵攻から日本を守る国防ラインの一環として、他の山城と同じ時期に築かれた」と考えられています。

常城・茨城・長門城の詳細な場所は分かっていません。

鬼ノ城の特徴

では、鬼ノ城とはどんな城なのでしょうか。まず特徴的なのは、山を取り囲むように築かれた城壁です。鬼城山はすり鉢を伏せたような形をしたなだらかな山ですが、山の稜線を鉢巻状に取り囲むように、幅約7m・高さ6mの土塁や石塁が築かれています。総延長は約2.8km。流水によって城壁が崩れるのを防ぐために、道には敷石が並べられています。敷石が見られるのは鬼ノ城のみで、国内の他の山城では類例のない珍しいものだといいます。

城壁総延長2.8km、城内面積約30万㎢。城内からはのろし台や鍛冶工房などが発見されています。

鬼ノ城の西門

城内への侵入者を防ぐのが、東西南北に築かれた4カ所の門です。特に守りの要だったとされるのが、「西門」です。西門の扉は内側に開くようになっており、扉を開くと4段の石段が続きます。石段には柱の跡が残されているため、敵を分散させる目的で板塀が置かれていたのかもしれません。大野城太宰府口城門(だざいふぐちじょうもん)にも採用されている、守りに適した構造です。

鬼ノ城の角楼

西門の近くには、張り出すように立てられた「角楼(かくろう)」があったと考えられています。背面からの攻撃と西門の防衛を意図した防御施設で、西門から張り出すように造られています。古代山城で角楼跡が見られるのは、鬼ノ城だけです。

鬼ノ城の通水溝

城内には4カ所の谷があるため、通水施設が必要となります。鬼ノ城には城内の水を管理するための通水溝として、6カ所の水門が設けられています。これは百済から伝わった技術で、通水溝が石垣最上部に造られているのが鬼ノ城の特徴です。

鬼ノ城は難攻不落の強固な山城

また城の内部からは、礎石建物の跡も発見されています。6~7棟の倉庫のような建物があり、おそらく食品貯蔵庫として建てられたのでしょう。鬼ノ城は、外部からの攻撃に耐えられるよう堅牢に築城された、難攻不落の山城だったのです。

鬼ノ城に見られる百済の築城技術

吉備国は高い古墳築造技術を有していましたが、古墳と山城は全く別物です。日本人の自助努力のみで独自に鬼ノ城を築いたと考えるのは、無理があります。城壁の石積や水門は百済の築城技術であり、他地域の山城築城には天智(てんじ)天皇から命じられた百済人技術者が参加していることからも、鬼ノ城の築城に百済の技術者が関与したと推察されています。

鬼ノ城は吉備国の最終防衛ライン?

現在の鬼ノ城は内陸に位置しているため、瀬戸内海を防衛するには遠すぎるイメージがあります。しかし当時の海岸線は今よりずっと内側にあり、山陽新幹線の線路の辺りまでは海だった可能性が高いのです。吉備国は海上交通の要衝であり、 畿内(きない)からも近い距離にあります。鬼ノ城が破られれば残るのは大和(やまと)の高安城のみとなるため、最終防衛ラインとして強固な城が築かれたのではないでしょうか。鬼ノ城の近くに「大廻小廻山城(おおめぐりこめぐりやまじょう)」という山城が築かれたという説もありますが、場所は不明のままです。

鬼ノ城は軍事拠点として使われずに役目を終える

結果的に唐や新羅が日本に攻めてくることはなく、鬼ノ城を含めた山城は軍事拠点として使われることなく役目を終えます。朝鮮半島の情勢や新羅との関係悪化があり、 防人(さきもり)制度のみが九州の守備として9世紀まで続くことになります。

鬼ノ城

住所
岡山県総社市黒尾、奥坂1101-2(鬼城山ビジターセンター)
交通
JR伯備線総社駅からタクシーで25分、鬼城山ビジターセンターから徒歩10分
料金
見学料=無料

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