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古代吉備国と大和朝廷の関係~巨大古墳からひもとく~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

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古代吉備国と大和朝廷の関係~巨大古墳からひもとく~

岡山県内には約1万4000基の古墳があり、そのうち13基が全長100mを超える巨大な前方後円墳です。なぜこんなにたくさんの古墳が造られたのでしょうか

古代吉備国はどこにあった?

古代の吉備国は、兵庫県西部・岡山県全域・広島県東部を含む広大な土地にありました。吉備南部には、吉井川(よしいがわ)が運ぶ土砂によって生まれた平野が広がっています。この肥沃(ひよく)な土地は耕作地として適しており、多くの人が集まりました。

古代吉備国は交通の要衝として栄えた

当時の船旅は潮流を利用して進んでいましたが、ちょうど瀬戸内海の塩飽(しわく)諸島付近で潮目が変わります。このため船で移動をする場合は、吉備に立ち寄る必要があったのでした。多くの人と交通網があれば、自然と生産が発達します。生産力が向上すると、それを管理する豪族が生まれます。豪族たちは婚姻や、祖先を同じくする一族でゆるやかに結びつき、上下関係のない共同体を築いていたと考えられています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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