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地名の由来:駿府城下町の名残を残す地名(静岡県)

大御所(おおごしょ)時代の家康は、陸路と水運の両面から、人と物の流れを最大限に生かす壮大な駿府の「まちづくり」を行っていました。後に「駿府九十六ヶ町」といわれるようになった駿府城下町は、江戸時代を通じて東海道の宿場町として栄え、現在の静岡市街地の原型にもなっています。

城下町に住む町人たちは、職種に応じて家康に奉仕することが義務付けられ、与えられたスペースの中で商売することが許されていました。城下町の商人や職人は職業ごとに決められた町に住みました。紺屋町(こうやまち)、呉服町(ごふくまち)、両替町(りょうがえまち)など、現在もその名残がうかがえる地名が散見されます。

地名の由来:ヤマトタケル由来の地名(静岡県)

『古事記』や『日本書紀』には、静岡県内のさまざまな地名の由来として、ヤマトタケルの伝承が記載されています。景行40年(西暦110年とされる)のこと、ヤマトタケルは父である第12代景行天皇の命令で東国の蝦夷(えぞ)討伐に向かいました。その途中、逆賊に騙されて草むらの中で四方に火を放たれ焼き殺されそうになりますが、身に着けていた剣で草を薙ぎ払い、敵を破ることができたといいます。

ヤマトタケルが無事に難を逃れた地を「草薙(くさなぎ)」といい、この時使用した剣は敵を打ち払う神剣として草薙剣と呼ばれるようになったと伝えられています。

このほかにも、「焼津(やいづ)」「日本平(にほんだいら)」もヤマトタケルが由来とされています。どんな話が残されているのでしょうか。

地名の由来:洛中・洛外を分ける出入口だった地名(京都府)

鞍馬口丹波口などの地名や京都市内各所に残る土居町の町名も、かつてその地におどいと都への出入り口があった名残とされています。

おどいとは、いったいなんでしょう。1590年、天下を統一した秀吉は都を復興させるために大規模な都市計画を実行に移します。洛中外の再構築もその一環であり、領域を明確化するための城壁も築かせました。それこそが「おどい(御土居)」です。おどいという呼び名は江戸時代以降に定着したもので、建造当時の名称は「土居堀」です。また城壁といっても石垣のような堅牢なものではなく、土を固めた土塁と堀でした。

地名の由来:大阪府の堺市、三国ヶ丘(大阪府)

大阪府は摂津国、河内国、和泉国からなっていて、この3国を「摂河泉(せっかせん)」と称することもあります。

摂津国は兵庫県の一部を含む大阪府北中部で、大阪市や豊中市、吹田市、茨木市、池田市などが含まれます。河内国は府の東部にあたり、北の枚方市(ひらかたし)から南の河内長野市(かわちながのし)まで広範囲にわたります。和泉国は一般的に泉州(せんしゅう)と呼ばれ、大和川から岬町(みさきちょう)までがその範疇です。

そして、この3つの国の境界となるのが堺市です。そもそも堺という地名は「3国の境」からきたものであり、境界地点を意味する「三国ヶ丘(みくにがおか)」という地名も残されています。

地名の由来:高台「上町台地」の天王寺七坂(大阪府)

大阪市天王寺(てんのうじ)区の南西部にある「天王寺七坂」とは台地の西側斜面に集まった7つの坂道の総称で、北から「真言坂(しんごんざか)」「源聖寺坂(げんしょうじざか)」「口縄坂(くちなわざか)」「愛染坂(あいぜんざか)」「清水坂(きよみずざか)」「天神坂(てんじんざか)」「逢坂(おうさか)」です。いずれも石畳と石段でできた風情のある坂道です。

そして七坂には、それぞれに由来があります。もっとも北に位置する「真言坂」は“生玉はん”の愛称で知られる生國魂(いくくにたま)神社から千日前通にかけて走る坂で、周囲に存在した寺院の宗派がすべて真言宗であったことからこの名がつきました。

「源聖寺坂」の名は坂の北側に浄土宗の源聖寺があることに由来します。坂道の石畳には1969年に廃止された大阪市電の敷石が転用されているといわれます。「逢坂」は、聖徳太子が仏教導入に反対した物部氏と討論するために「逢った」場所という伝承があることから、その名が付いたとされます。ほかの4つの坂についてもその言われを見てみましょう。

地名の由来:浪華八百八橋の名残、四つ橋(大阪府)

かつての大坂の特徴として「浪華八百八橋(なにわはっぴゃくやばし)」といわれますが、正確には約200橋ほどしかなく、300橋以上あった江戸より少ないのです。しかし、幕府が直接管理する公儀橋(こうぎばし)の多かった江戸と異なり、天満橋(てんまばし)など12の橋を除けば、大坂の橋のほとんどは町人の力によって架設・管理されていました。町人が自費で複数の橋を架けることができる、その経済力を誇示したのが八百八橋という言葉のゆえんです。

かつて、西横堀川と長堀川が交差した地点に「ロ」の字に架けられていた「上繋橋(かみつなぎばし)」「下繋橋(しもつなぎばし)」「炭屋橋(すみやばし)」「吉野屋橋(よしのやばし)」の総称が四つ橋です。地下鉄の駅や道路の名称などに名前は残されていますが、交差点と駅名が四ツ橋なのに対し、かつての橋名および道路と地下鉄の路線名は四つ橋です。

地名の由来:六甲山の由来に関する2つの俗説(兵庫県)

正確には不詳ですが、2つの俗説があります。まず、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐からの帰途、6人の反逆者を捕らえ、その首と一緒に6つの兜をこの山に埋めたことにちなんで名づけられたという説です。

次に有力なのは、ヤマト王権から見て大阪湾の「向こうにある山」という意味から、「武庫山(むこやま)」と呼んだことに由来するという説です。「むこ」という語に、神功皇后の伝説と結びついた「六甲」という字があてられ、六甲山(むこうやま)に転じました。その後、江戸時代に音読されるようになり、定着したという説です。遊び心のある名づけ方といえます。

なお、「武庫」は阪神地方の古称として残り、現在、「武庫川」や「武庫之荘」など河川名や地名、学校名などに使われています。

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