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大阪の橋が伝える、姿を消した運河の歴史

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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大阪の橋が伝える、姿を消した運河の歴史

江戸時代の大坂には今より多くの川が流れ、八百八橋(はっぴゃくやばし)と呼ばれるほどに多くの橋が架けられていました。
しかし、昭和の開発事業や公害によって多くは埋め立てられています。

大阪の橋と町人の豊かさの関係

かつての大坂の特徴として「浪華八百八橋(なにわはっぴゃくやばし)」といわれますが、正確には約200橋ほどしかなく、300橋以上あった江戸より少ないのです。

しかし、幕府が直接管理する公儀橋(こうぎばし)の多かった江戸と異なり、天満橋(てんまばし)など12の橋を除けば、大坂の橋のほとんどは町人の力によって架設・管理されていました。町人が自費で複数の橋を架けることができる、その経済力を誇示したのが八百八橋という言葉のゆえんです。

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