【群馬】大人も子供も楽しい!遊びスポット!
群馬には大人から子どもまで遊べるスポットがバラエティ豊かにそろっている。家族もカップルも、楽しいひとときを心ゆくまで満喫しよう。...
ここで一つの疑問が生じます。確かに1915年に発行された地図をもとに推測すれば現在の矢川峠を通ったルートになりますが、渋沢栄一伝記資料「雨夜譚会談話筆記」によると「雪が降る日だったので香坂峠の前に泊まれば良かったのに、香坂峠は越えられるだろうと思って進んでしまった」とあります。
もし、その通りだとすれば、矢川峠を越えるためには信州街道(富岡街道)から北上し大きく迂回しなければなりません。仮に信州街道(富岡街道)沿いにある宿場で泊まる予定であったとすれば、時間的に越えられそうだからという理由で進んでしまう峠が迂回するルート上にあったとは少し考えにくいのではないでしょうか。ましてや厳冬期の峠越えです。慎重を期さなければならないのに峠越えを選択するでしょうか。
そこで、今度は『山と高原地図21「西上州 妙義山・荒船山」』で調べることにしました。山と高原地図では国道254号内山峠の手前にある下仁田町下野萱から県道44号線を通って神津牧場へ向かう登山道があります。そして、驚くべきことにその先に『香坂峠』と記載があります。
1915年の地図には記載があった香坂峠(現矢川峠)ではない香坂峠。この峠が渋沢栄一が通った香坂峠なのでしょうか。その答えを導く鍵が山と高原地図にありました。香坂峠の手前に馬や旅の安全を守る観音様である「馬頭尊」が記載されています。これは馬を利用してこの峠を行き来した峠道であったということの証ではないでしょうか。改めて山と高原地図から推測したことをもとに渋沢栄一伝記資料と照らし合わせてみた結果、どうやらこの峠を「香坂峠」と考えて良さそうです。
渋沢栄一が信州へ藍を買い付けに越えて行った峠とは?これまでの資料や地図をもとに導き出した答えは『山と高原地図に記載のある「香坂峠」』だったになります。香坂峠は現在の神津牧場を抜けた先にあり、渋沢栄一はこの峠を越えて道に迷いながらも信州側の佐久市香坂へ向かったと考えられます。
しかし、渋沢栄一も遭難しかけたほどの峠。この地は難所であったため志賀越ルートをはじめ、季節や用途によって複数の峠を越えていったのではないかと推測します。仮にどの峠を越えたにしても当時の人たちの健脚ぶりには驚くばかりです。
余談になりますが、信州への道中に絹産業の技術革新によって日本近代化に大きく貢献し、現在では世界遺産と国宝に指定された「富岡製糸場」があります。
富岡製糸場は渋沢栄一と深い関係があります。渋沢栄一の従兄である尾高惇忠が建設用地の選定から携わり初代場長を務めています。また、渋沢栄一自身も富岡製糸場設置の主任となっています。富岡に工場を建設した理由には下記の条件に適していたからとされています。
1.養蚕業が盛んな地で良質な繭が確保できた
2.広い土地が確保できた
3.工場用水が確保できた
4.燃料である石炭が高崎や吉井で採れた
5.地元の人たちの同意が得られた
もしかすると彼らは信州へ藍を買い付けに行っていた経験から工場建設に適した場所を道中に見つけていたのかもしれません。
渋沢栄一の故郷である埼玉県深谷市下手計には「渋沢栄一記念館」があります。記念館には渋沢栄一ゆかりの写真や資料を閲覧できるだけでなく、アンドロイド渋沢栄一による講義を見学することができます。アンドロイドの渋沢栄一に会いたい方は一度訪れてみると良いでしょう。
参考資料 渋沢栄一記念財団(渋沢栄一伝記資料) 渋沢栄一ミュージアム 渋沢栄一記念館 深谷市 佐久市
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