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建礼門院(平徳子)

平清盛と時子の娘、承安元(1171)年、17歳(15歳説もある)で、高倉天皇の后になったが、なかなか皇子誕生がなく、父清盛をいら立たさせる。7年後、24(2)歳で第一皇子言仁を出産して国母となります。
養和元(1181)年、高倉上皇逝去後、建礼門院の院号を宣下。寿永2年、平家とともに都落ちして、壇の浦で入水するが、源氏の兵に捕らえられて帰京。
晩年は洛北大原に住み、出家して一族の菩提を弔いながら過ごしたとされている。亡くなった年令に関しては諸説あり、はっきりとしない。

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