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小栗上野介忠順

江戸幕府末期の武士。豊後守、上野介。 勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行を歴任。8歳から私塾で学び、剣術・砲術・柔術・山鹿流兵学も学ぶ。1855年、家督を相続。1860年、米・ポーハタン号で渡米し、地球を一周して帰国。その後、多くの奉行を務め、幕府の財政再建や洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行なう。大政奉還に反対し、討幕派諸藩との対決を決意。1868年の『鳥羽・伏見の戦い』で敗北した徳川慶喜に主戦論を建議するも、却下される。上野国に引き上げるが、新政府軍に斬首された。

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