聖徳太子がしたこと~古代史の英雄・聖徳太子が中央集権化を目指し、さまざまな国政改革を行なう
聖徳太子(しょうとくたいし)は推古(すいこ)天皇の摂政(せっしょう)として辣腕(らつわん)を振るいます。冠位十二階と十七条憲法の制定が、その最大の功績です。聖徳太子は仏教の振興や歴史書の編纂にも尽力し...
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飛鳥時代の官人。遣隋使。607年、推古天皇の時代に聖徳太子が隋と国交する際、第1回遣隋使として国書を携えて、通訳の鞍作福利(くらつくりのふくり)らと共に渡海した。翌年、隋の使臣・裴世清(はいせいせい)を伴って帰国したが、隋の皇帝・煬帝(ようだい)からの返書を紛失したと報告。しかし、推古天皇の恩赦で罪に問われなかった。同年、裴世清の帰国時に再び遣隋使として派遣され、8名の留学生・留学僧と共に国書を携えて渡海。翌年に帰国した。
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聖徳太子(しょうとくたいし)は推古(すいこ)天皇の摂政(せっしょう)として辣腕(らつわん)を振るいます。冠位十二階と十七条憲法の制定が、その最大の功績です。聖徳太子は仏教の振興や歴史書の編纂にも尽力し...
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