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藤原鎌足

飛鳥時代の貴族、政治家。中臣鎌足(なかとみのかまたり)。日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖。儒教を学び、蘇我入鹿とともに秀才とされた。密かに蘇我氏打倒を決意し、擁立すべき皇子を探した。645年の『大化の改新』の中心人物。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ。後の天智天皇)の側近として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築いた。天智天皇から大織冠(たいしょっかん)を授けられ、内大臣に任ぜられ、「藤原」姓を賜ったが、翌日に逝去した。

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