フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー > 

松平容保

江戸時代末期から明治時代の大名。陸奥国会津藩主。京都守護職。公武合体論を唱え、松平慶永(まつだいらよしなが)と共に幕政参与となり、京都守護職に就く。尊王攘夷運動が激しくなった京都の治安維持にあたり、尊王攘夷派志士弾圧の指揮をとった。1864年「禁門の変」にて長州藩兵と戦い、これを撃退。1868年の「鳥羽・伏見の戦い」にて敗戦し、江戸に帰った。その後、奥羽越列藩同盟の中心となるも、「会津戦争」で敗れた。

松平容保の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

1〜4件を表示 / 全 4件

幕末の京都市内中心部と鳥羽・伏見は勤皇の若者によって騒乱の舞台となった

幕末に騒乱の舞台となった京都市内中心部と鳥羽・伏見風雲急を告げる江戸時代末期、木屋町や河原町では暗殺事件が頻繁に起こります。 さらに2度にわたる戦いで、京都は甚大な被害をこうむりました。...

白河口の戦いに敗れた会津藩は会津若松城の開城し新政府軍に降伏する

なぜ会津藩は、明治維新では新政府軍に抵抗を続けたのでしょうか。 徳川宗家に従ってきた、親藩大名としての必然的な理由がそこにはありました。...

福島県の歴史~江戸時代から物流とエネルギー開発の拠点となった現代まで

一次産業や二次産業が主軸だった福島県域は、道路網整備やエネルギー開発によって多様性を獲得します。 そして現在、復興の最中にあります。...

仙台で奥羽越列藩同盟が成立!戊辰戦争の火蓋が切られた!

新政府が成立して鎮撫軍が、いまだ幕府に味方する奥羽・北越各藩の討伐に向かいました。 それに対抗すべく、奥州・北越の31藩は奥羽越列藩同盟を結成します。...