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近代の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

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新潟の近代史~13の県が成立し徐々に統廃合 成立当初の人口日本一!?

越後国内に分立していた小藩が、明治維新以降、紆余曲折を経て新潟県として併合された。全国1位の人口を誇りました、巨大な県の誕生です。...

【山形県の歴史】戊辰戦争敗北から山形県が成立 産業近代化とインフラ整備が進む

明治以降、産業の近代化と交通網の整備が進みます。地主制で疲弊した農村は戦後の農地改革で安定、しかし近年は、深刻な過疎に直面しています。...

足尾鉱毒事件で田中正造が訴えたこと~日本における公害問題の原点~

足尾鉱毒事件は、近代から現代に至るまでの、日本における公害問題の原点といわれます。 田中正造はこの事件解決に生涯をささげ、明治政府を鋭く批判しました。...

東北本線の歴史~熊谷から分岐して県南を通る予定だった!?路線決定の紆余曲折~

首都圏と東北を結ぶ大動脈として、県内を縦断する東北本線。路線は大宮駅から高崎線と分岐して県央を宇都宮に向かいますが、当初は熊谷から県南を迂回する案もありました。...

長崎と佐世保の戦争遺構~戦争と原爆投下の悲劇を今に伝える

明治以降の海軍増強政策のもと、造船業をはじめ軍需産業の拠点となった長崎県は、戦争にまつわる歴史、その悲劇を語り継ぐ戦争遺構が数多く残る地域でもあります。...

佐世保鎮守府の設置で人口約4000人の村が一変!?佐世保が寒村から大変貌したワケ!

明治時代、鎮守府(ちんじゅふ)の設置を境に軍港都市へと変貌していった佐世保。 各種産業やインフラは、この時代に整備されたものが多く、佐世保の近代化の礎を担いました。...

高島炭坑から始まった近代石炭産業~グラバーが日本にもたらした最新技術~

長崎港沖合に浮かぶ高島は、日本における石炭産業の礎。 トーマス・グラバーが導入した洋式採炭法は、その後全国に波及し、炭鉱生産力の向上に大きく貢献しました。...

長崎県は紆余曲折の末に成立!士族の反乱で佐賀県が長崎県の一部に!?

明治新政府が版籍奉還後の重要施策として進めたのが、明治4(1871)年の廃藩置県です。 藩から県になりましたが、現在の長崎県になるまでには多難な道をたどりました。...

島原鉄道は奇跡のローカル線!?水害、噴火、経営難…それでも列車は走る!

各地の地方私鉄が次々と路線廃止に追い込まれるなか、相次ぐ危機を乗り越えて「地域の交通手段としての役割」を全うし続けるローカル鉄道の奮闘に迫ります。...

小浜鉄道の当時の面影が残る廃線跡!難工事の末に開通するもわずか11年で幕

小浜鉄道は莫大な費用と労力をかけてようやく全線開通したリゾート鉄道でしたが、折悪しく重なった「路線バスの台頭」によって、短期間で姿を消すこととなりました。...

松浦鉄道には3つの日本一がある!?~“MR”の愛称で親しまれるローカル線~

北松浦半島をぐるりと周回するように走る松浦鉄道。 このローカル線には日本一が2つありますが、ある駅名にさらにもうひとつの日本一が隠されていたのです!...

長崎街道の日見峠~シーボルトや吉田松陰も歩いた“西の箱根”の変遷

長崎陸路の表口となる日見(ひみ)峠は、街道随一の難所。徒歩移動から人力車や馬車、そして自動車へと、交通手段の変遷にともない、峠道もその姿を変えてきました。...

長崎電気軌道の魅力とは?戦争や水害の苦難を乗り越えた長崎市民の足!新旧の車両が活躍中!

道幅の狭い坂が多い地形でマイカー保有台数が少ないため、利用者が多いとされる長崎の路面電車。 市民からも観光客からも愛される人気の理由に迫ります。...

長崎駅の再開発の歴史!新幹線開業に向けついに高架化が完了

開業当初は、8㎞先の長与駅とつながっているだけだった長崎駅。 移ろう時代につれ、時には戦争を乗り越え、その姿を様変わりさせてきました。 そして、現在はどうなっているのでしょうか。...

初期の長崎本線は早岐経由だった~鉄道から船と人力車に乗り換え長崎へ!?

長崎が鉄道建設計画で福岡、佐賀、熊本に遅れをとったことで、早岐(はいき)経由の迂回ルートとなってしまった長崎本線。 しかも当初、乗客は大村湾を船で渡っていました!...

対馬の金田城は天然の要塞だった!~国防の最前線として築かれた古代の名城~

6世紀から7世紀にかけて、東アジアの勢力争いで中国を統一した唐は朝鮮半島に進出。 白村江(はくすきのえ)で大敗した倭国は、唐の進出に備えて対馬に金田城(かねだじょう)を築きました。...

長崎は恐竜化石の宝庫だった!国内初のティラノサウルスの化石も発掘!

CGを駆使した恐竜映画で人気者になったティラノサウルス。 じつは、この恐竜の大型種の化石が国内で初めて見つかったのは、長崎半島西海岸でした!...

横島炭鉱の歴史と島の沈没の謎~700人が暮らした炭鉱の島が消えた!?~

明治30年代、長崎沖に浮かぶ小さな島は無人島から石炭採掘の島へと変貌し、人口700人を数えました。 閉山後、徐々に沈んでいき、現在は2つの岩礁が残るのみとなっています。...

長崎市の地形は江戸時代から埋め立て都市だった? 坂の町だからこそ生まれた都市形成!

長崎市は長崎半島と西彼杵(にしそのぎ)半島の接合部の小規模な沖積平野にあります。 背後には山地や丘陵が迫り、都市拡大のため絶えず埋め立てが行われてきました。...

鉄川与助が手がけた教会堂建築!細部まで技巧を凝らした圧巻の建築美

かつて長崎に「異色の建築家」と評された男がいました。 九州の教会堂建築で名を馳せた鉄川与助(てつかわよすけ)がその人。 手がけた教会堂のうち、5棟が重要文化財に指定されています。...