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源義経

源頼朝の異母兄弟。戦の天才で、源平合戦で大活躍をしたが、その後、頼朝と確執が生じ、自害に追い込まれる。その悲劇的な生涯は「大陸に逃げ延びてチンギス・ハンになった」などの伝説を生んだ。

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鎌倉時代を深める。150年続く鎌倉幕府は、おおよそ執権北条氏の治世だった

鎌倉時代、鎌倉幕府は源頼朝が興したものですが、源氏の直系は3代のみ。 頼朝死後の2代目以降は、ほぼ北条氏が執権として政権を掌握しました。 北条氏のもとで本格的に稼働した武家政権とは、どのような歴史...

平家滅亡はいかにして起こったか?西海に追いつめられ平家一門の最期の地となった「壇ノ浦」

日宋(にっそう)貿易で財を成し平清盛が太政大臣(だじょうだいじん)になるなど栄華を極めた平家一門でしたが、清盛の死後程なく滅亡しました。平家は、なぜ滅びなければならなかったのでしょうか。...

藤原秀衡の時代に最盛期を迎えるも源頼朝によって滅ぼされた奥州藤原氏

四代の栄華を誇った奥州藤原氏は、源頼朝によって滅ぼされました。 奥州は鎌倉幕府の直接支配下に入り、多くの御家人を迎えることになります。...

源義経の悲劇を倶利伽羅峠と安宅関で辿る!「判官贔屓」はここから生まれた

源義経ゆかりの場所は北陸に多く残ります。 源平が戦った倶利伽羅峠や『勧進帳』の舞台となった安宅の歴史に触れれば、源義経の悲劇に満ちた人生が見えてきます。...

奥州合戦へもつれ込んだ源氏の兄弟喧嘩~源義経を兄の頼朝が排斥した理由とは?~

源頼朝は源平合戦で大活躍した弟義経を自害に追い込んだ後、奥州藤原氏を討つべく、自ら進軍します。源義経をかくまっていた藤原氏は巨大な地方政権でした。 【要点はココ】 ◎源頼朝は源義経を快く思って...