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奈良時代の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

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平城京~政争や疫病などの社会不安のなか、平城京に律令体制の中央集権国家が完成!

藤原京(ふじわらきょう)は10年で打ち捨てられ、710年、新たに平城京(へいじょうきょう)が建設され、奈良時代が始まります。唐(とう)都長安(ちょうあん)が新都のモデルとなった平城京は、住人の約7割を...

遷都は安寧の世を願い、都を遷すこと。繰り返されきた遷都には必然性があった

遷都、現代でいえば首都機能移転問題。今日も様々な角度から問われている難題のひとつです。古代には、天皇が変わる度に遷都が行われている時期がありました。また、当時の権力者の理想を追って断行した時代もありま...

遣唐使の派遣~命の危険をおかして中国に渡った留学生たちが、唐で得たものとは?

遣唐使の派遣は630年から894年まで、約20回にわたり計画されました。遣唐使船での渡海は命がけ。唐だけでなく、渤海(ぼっかい)とも使節のやりとりをしていました。...

出羽三山が育んだ修験道の世界!山形県は即身仏の数が日本一

古くから山岳信仰を重視していた出羽三山。神聖な空気に包まれたこれらの山々は、現在も修験道の聖地として、多くの参拝者を集めています。...

城柵を築き支配域を広げるヤマト王権と当時の山形の形とは?

ヤマト王権は徐々に北へと領域を拡大していきました。城柵の位置の変遷をたどると、ヤマトと蝦夷を隔てる境界の推移が見えてきます。...

玉山金山とは?~平泉に黄金文化をもたらした伝説の鉱山~

かつて奥州は黄金の国でした。 奥州藤原氏から伊達藩、近代に至るまで、その財政を支えた玉山金山の「金」はどのように生成されたのでしょうか。...

枕崎港が古来より栄えた坊津にかわり遠洋漁業の拠点に!

古くから中国との交易があった南薩エリア。 なかでも坊津は遣明船の寄港地として栄えていました。 枕崎港が今の賑わいを得るまでの道のりを探ります。...

西大寺会陽(裸祭り)とは?~一度は見たい天下の奇祭~

奇祭「裸祭り」として知られる、西大寺会陽(さいだいじえよう)。2016(平成28)年に国の重要無形民俗文化財に指定された伝統あるこの祭りは、どのようにして生まれ、どのような特徴を持つのでしょうか。...

善光寺の本尊は時代に翻弄され各地を流転し、天下人の元に安置された?

善光寺の本尊は日本最古の仏像で絶対秘仏とされていますが、戦国乱世に翻弄され、各地を流転しています。その軌跡を追っていきましょう。...

伏見酒は「女酒」といわれるまろやかな口当たりが特徴~通をうならせる酒はどうやって生まれた?

兵庫県にある「灘五郷(なだごごう)」と並び称される伏見は、豊臣秀吉の築城によって都市化が進みました。 その、まろやかで繊細な口あたりの要因は水の硬度にありました。...

吉備真備は奈良時代のスーパー外交官!陰陽道・兵法・囲碁を日本に持ち込んだ!?

奈良時代に日本と唐を股にかけて活躍したスーパー外交官がいました。 2度にわたって入唐し、最新の学問や技術を輸入。 奇想天外な逸話は冒険活劇のようです。...

藤原京廃都の裏に参考資料のミス!?~日本初の条坊制の都~

日本初の本格的な都城として誕生した藤原京。 中国の歴史書をもとに造られましたが、遣唐使によって唐の長安とは異なることが分かり、わずか16年で幕を閉じました。...

奈良墨はかつて興福寺が作っていた!現在も奈良産が全国シェア約95%!

藤原氏の栄華のもと墨の大量生産を手がけた興福寺。 室町時代には従来より高品質の墨を手がけ、「奈良といえば南都油煙」ともてはやされるまでになります。...

暗峠の急勾配は法令値オーバー!生駒市と東大阪市にまたがる“酷道”

暗越奈良街道(国道308号)は古代、大阪と奈良を最短距離で結ぶ国際色豊かな道で、のちに伊勢参りの街道にもなりました。 狭い道幅と急勾配から“酷道”とも呼ばれています。...

群馬の由来と歴史~“つる舞う形”ができるまで~

古代から車と関連のある地名だった群馬。 なぜ車なのか、なぜ群馬になったのか歴史をひもといていきます。 さらに、県の形が鶴の形になるまでの変遷も紹介しましょう。...

宮城県は金山の宝庫だった?!奈良の大仏のメッキには涌谷産の金が使われていた!

かつて、宮城に金の一大産地があったことを知っているでしょうか。 奈良時代に、それまで日本では採れないと思われていた金が、宮城県涌谷(わくや)で発見されました。 涌谷は日本で初めて金が発見された土地...

常陸平氏・河内源氏が二大勢力!武家の強大化で律令制が危機!?

律令体制下で中央集権化が進められますが、その体制にも次第に揺らぎが生じます。そのとき常陸国内には常陸平氏と佐竹氏(常陸源氏)が台頭しました。...

猿投窯の須恵器に始まって中世に大発展した愛知の窯業

猿投山の周辺は窯業に適した土地でした。 古墳時代に焼き物を生産し始めた猿投窯は、やがて「日本三大古窯」と呼ばれるほどに発展します。...

愛知県域の歴史~文化の変遷や伝播の要所になった東西の境界!

肥沃な濃尾平野と三河湾に育まれた愛知県域には、旧石器時代から人々が生活をしてきました。 東西の境目ならではの、歴史の歩みが始まります。...

武蔵野の歴史~京から離れた片田舎ではなく関東随一の大国だった!?~

古代から中世にかけて、象徴的に“葦原ばかり”などと表現された武蔵国。 京から遠い片田舎と見なされてきましたが、実は律令時代には大国だったのです。...