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畠山義就

室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名。“よしひろ”ともいわれる。河内・紀伊・山城・越中守護。義夏(よしなつ)から改名。1448年、室町幕府第8代将軍・足利義成(後の義政)から畠山氏の後継者とされ、元服して義成の偏諱を受け、“畠山義夏”と名乗る。従兄弟の畠山弥三郎・政長らと対立し、家督争いが起こる。領国・河内を中心に戦いを繰り返したが、1455年、義就と改名し、家督を継承。その後も争いは続き、『応仁の乱』へと発展。乱の後も家督争いは続いた。

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