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安徳天皇

第八十一代天皇、名は言仁、高倉天皇の第一皇子として、治承2(1178)年誕生。母は、平清盛の娘徳子。生誕の翌月親王になり、続いて立太子、翌々年の治承4(1180)年に、わずか三歳で天皇に即位した。父親の高倉天皇は皇位を退いて、上皇となる。
しかし即位の翌月には高倉上皇の腹違いの兄、以仁王(高倉宮)の乱が起り、平家の独裁的な権力にかげりが見え始める。
寿永2(1183)年、木曽義仲軍に追われ、平家一門に奉じられて、都を後に西国へくだり、その直後に都では高倉天皇の第四皇子尊成皇子の践祚が行なわれていた、後の後鳥羽天皇である。
安徳天皇というおくり名は、このときに付けられたもの。正史では、二位の尼とともに、壇の浦で海底に沈んだことになっている。

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