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六波羅探題

鎌倉幕府の役職名。1221年の「承久の乱(じょうきゅうのらん)」以後は、京都に設置された鎌倉幕府の出張機関も指す。幕府は、北条時房(ほうじょうときふさ)、北条泰時(ほうじょうやすとき)を京都に常駐させ、公家の行動を監視。洛中警固と西国御家人の統制を任務とした。北条氏一族の有力者が交代で任命された。時が経つにつれ、裁判権が強化され、評定衆・引付衆も設けられた。

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