フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー > 

鎌倉時代の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

1〜20件を表示 / 全 79件

鎌倉時代を深める。150年続く鎌倉幕府は、おおよそ執権北条氏の治世だった

鎌倉時代、鎌倉幕府は源頼朝が興したものですが、源氏の直系は3代のみ。 頼朝死後の2代目以降は、ほぼ北条氏が執権として政権を掌握しました。 北条氏のもとで本格的に稼働した武家政権とは、どのような歴史...

大友氏の壮絶な家督争いとは?~肥後を支配した守護代の骨肉の争い

戦国時代、豊後(ぶんご)・筑後(ちくご)・豊前(ぶせん)・肥前(ひぜん)・肥後(ひご)・筑前(ちくぜん)の6ヶ国を領有し、支配した守護職・大友氏の、血を血で洗う骨肉相食む争いの行方は⁉...

懐良親王の征西府跡は?~熊本の南北朝時代を象徴

南朝・北朝の激戦の舞台となった八代地方には今も当時の遺跡が数多く残ります。征西府と古麓城が時代と共にたどった数奇な運命とは?...

阿蘇氏と阿蘇神社の歴史~武家大宮司の栄枯盛衰

熊本県民ばかりではなく、多くの人々の信仰を集める阿蘇神社は、太古から権威ある神社として、熊本の長い歴史を見守ってきました。...

菊池氏は450年にわたって菊池を支配した大豪族!その功績は?

菊池市内に残る守山城跡と18の外城跡は、「勢いいかめしき兵」と謳われた菊池一族の強さの象徴でもありました! その菊池一族がたどった歴史とは?...

十三湊を制して栄えた安藤氏と室町期に台頭した南部氏の争い

古くから良港として知られた十三湊は、安藤氏の躍進とともに繁栄しました。安藤氏はどのように青森県域に根づいたのかを追っていきましょう。...

新潟の歴史を語る上で欠かせない上杉氏と長尾氏 両家の関係とは?

室町時代に越後国の守護を努めたのは上杉氏でした。その家宰に過ぎなかった長尾氏が、景虎(上杉謙信)の代に戦国大名として雄飛します。...

奥山荘をめぐる和田氏一族の争い~勝訴のきっかけとなった『波月条絵図』とは?

中世の越後国に成立した荘園・奥山荘は、三浦和田氏の所領でした。この三浦和田氏における所領相続問題の最中に『波月条絵図』は生まれます……。...

【中世期の出羽国】鎌倉御家人が地頭として進出!次第に激化する権力争いのゆくえ

鎌倉時代以降、出羽国内に入部した関東御家人が土着していきました。やがて彼らがそれぞれ勢力拡大を目指し、争いを繰り広げるようになっていきます。...

身延山と日蓮聖人の波乱に満ちた生涯

日蓮宗の開祖である日蓮聖人。 身延山は彼が晩年を過ごし、法華経の読誦(どくじゅ)と弟子・信徒の教育に終始した聖地ですが、開山するまでにどのような背景があったのでしょうか。...

「甲斐源氏」は武田氏の先祖に当たる戦国エリート!

清和源氏の一族にして、平安時代の名将と称される、源義光(新羅三郎)。 その子孫は、常陸国から甲斐国に移り住み、甲府盆地一帯に本拠を築いて「甲斐源氏」と呼ばれました。...

大河兼任VS鎌倉幕府!八郎潟東岸を拠点とする豪族の反乱

源頼朝は奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼします。 ですが、奥州藤原氏の旧臣は、鎌倉政権に対して従順に従うものばかりではありませんでした。...

秋田の中世史~秋田県域に関東御家人が入部して戦国時代には中小領主が乱立する

豪族によって治められていた秋田の地に、武家が入部していました。 政治的大転換を迎え、秋田県域では武士が支配権を巡って争うようになります。...

藤原秀衡の時代に最盛期を迎えるも源頼朝によって滅ぼされた奥州藤原氏

四代の栄華を誇った奥州藤原氏は、源頼朝によって滅ぼされました。 奥州は鎌倉幕府の直接支配下に入り、多くの御家人を迎えることになります。...

岩手県の中世の歴史~奥州藤原氏を源頼朝が滅ぼし奥州支配権を奪った

奥州藤原氏は独自の勢力を確立しましたが、源頼朝に滅ぼされます。 その後、奥州では幕府権力の後ろ盾を得た勢力が割拠することになります。...

富山の歴史~成立までの複雑な変遷は呉東と呉西の違いにも影響?

かつては能登国が属していたこともある越中国。江戸時代には富山藩領と加賀藩領が併存し、明治の廃藩置県では一部が金沢県、残りは富山県となるなど、複雑な歴史を辿ってきました。...

島津家が統べる薩摩・大隅・日向~守護大名から戦国大名へ

中世の鹿児島は島津氏によって支配されました。 その島津氏もつねに盤石だったわけではなく、内紛を乗り越えて戦国大名化したのでした。...

下野国の中世史~足利氏には2つの流れがあった!鎌倉幕府と下野御家人の関係~

平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、下野の武士団は源平の覇権争いや鎌倉幕府に大きな影響を与え、さらにここから室町幕府を開く足利氏が台頭します。...

鷹島神崎遺跡から見る元寇~“神風”の謎が海底遺跡調査で判明!?

鷹島は鎌倉時代に2度にわたった元寇(げんこう)(蒙古襲来(もうこしゅうらい))の激戦地のひとつ。 神風によって沈んだ元の軍船が残る「鷹島神崎(たかしまこうざき)遺跡」の調査で、戦いの詳細がわかってき...

備中松山城の歴史~現存12天守の一つはなぜ残った?~

日本三大山城に数えられ、天守が現存する唯一の山城である備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)。鎌倉時代に築城されてから今日までの、歴史を振り返ってみましょう。...