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宝治合戦

1247年、執権・北条氏と有力御家人・三浦氏の対立から、鎌倉で起こった戦い。『三浦氏の乱』ともいわれる。元々、姻戚なども含めて密接な関係を築いていたが、1246年に北条時頼(ほうじょうときより)が執権に就くと、その地位を奪おうとする者たちが現れ、その中に三浦氏が関わっていたため、徐々に関係が悪化。翌年、北条時定(ほうじょうときさだ)が三浦邸を襲撃し、三浦泰村(みうらやすむら)・三浦光村(みうらみつむら)兄弟をはじめ、三浦一族の多くが自害した。その後、時頼の独裁体制が確立された。

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