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高望王

平安時代中期の賜姓皇族。平高望(たいらのたかもち)。桓武天皇のひ孫。高望王流桓武平氏の祖。889年、宇多天皇の勅命で臣籍降下。898年、上総介に任官。子どもたちと共に任地に赴き、地元勢力との関係を深め、常陸国・下総国・上総国を開発。退官後も住み続け、勢力を拡大。しかし、902年に西海道(さいかいどう/にしのみち)(現:九州地方)の国司となり大宰府に移住。911年、同地で没。

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