フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー > 

新田義貞

鎌倉時代後期から南北朝時代の御家人、武将。源義貞(みなもとのよしさだ)。上野国新田荘の御家人だったが、1331年の『元弘の乱』では後醍醐天皇に呼応し、鎌倉討伐軍に参加。“建武の新政”の立役者だったが、足利尊氏と対立。1336年の『建武の乱』では天皇から官軍総大将に任命され、各地に転戦するも、、箱根や湊川での合戦で敗北した。途中、天竜川に3日以内に橋を作るよう命じ、完成するとそれを渡って西へ逃れたとされている。

新田義貞の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

1〜2件を表示 / 全 2件

鎌倉時代を深める。150年続く鎌倉幕府は、おおよそ執権北条氏の治世だった

鎌倉時代、鎌倉幕府は源頼朝が興したものですが、源氏の直系は3代のみ。 頼朝死後の2代目以降は、ほぼ北条氏が執権として政権を掌握しました。 北条氏のもとで本格的に稼働した武家政権とは、どのような歴史...

新田義貞が鎌倉幕府をわずか15日で倒幕できた理由

鎌倉時代末期から南北朝時代を駆け抜けた新田義貞の業績をたどります。 乱世にあって朝廷への忠義を貫いた正義の人か、それとも野心を利用された悲劇の英雄だったのでしょうか。...