フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー > 

細川忠興

戦国時代から江戸時代前期の武将、大名。長岡忠興(ながおかただおき)。茶人・細川三斎(ほそかわさんさい)。豊前国小倉藩初代藩主。肥後細川家初代。正室は明智光秀の娘・玉子(通称:細川ガラシャ)。足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、その時々の権力者に仕えた。各主君からの信頼が厚く、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。

細川忠興の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

1〜3件を表示 / 全 3件

栃木県の歴史が県に対する愛着が希薄な県民性の原点に?

近世の栃木には大藩がなく、国は中小藩や旗本支配地などにより細分化されていました。それには、奥州への出入り口という地理的位置と、日光東照宮の存在が関係しています。...

小倉城の天守閣は昭和時代に復元されたが本来の姿とは異なる!?

史実より見た目を重視した結果、細川忠興が築城した小倉城と現在の小倉城の天守は随分と形が異なることになってしまいました。...

福岡を治めた4つの藩と成り立ち~江戸時代~

江戸時代、福岡県にあった福岡、小倉、久留米、柳河の4つの藩。それぞれの成り立ちが今の福岡の基礎となっています。...