応仁の乱で京都は焼け野原に!戦場となったのは一部だけ?
「京の町一面を焼け野原にした」と言われる応仁の乱ですが、市内で戦場となったエリアはそれほど広くありませんでした。 どこで何が起こっていたのでしょうか。...
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室町時代中期の武将、守護大名。室町幕府管領。土佐・讃岐・丹波・摂津・伊予守護。『応仁の乱』東軍総大将。1442年、13歳で家督を継ぎ、室町幕府第7代将軍・足利義勝から偏諱を受け、勝元と名乗る。16歳で管領に。その後、3度・通算23年間も管領職に就き、幕政に影響力を持った。山名宗全との争いを避けるため、山名氏の娘を正室に迎えたが、徐々に敵対関係となり、『応仁の乱』が起こる。宗全が病没して優位に立つも、間もなく死去。
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「京の町一面を焼け野原にした」と言われる応仁の乱ですが、市内で戦場となったエリアはそれほど広くありませんでした。 どこで何が起こっていたのでしょうか。...
全国の有力守護が東西両軍に分かれて争う応仁・文明の乱は、管領家の家督争いに幕府の実力者である細川氏・山名氏の勢力争いが絡んで起こりました。...
足利尊氏が鎌倉幕府に取って代わる室町幕府を開きました。新たな武家政権の誕生です。3代将軍義満の時代に最盛期を迎えますが、幕府内の内乱や朝廷の南北分裂、守護大名の勢力争い、そして応仁・文明の乱など争いが...
応仁の乱は、中央での権力争いに端を発し全国に波及しました。 尾張国や三河国もその影響から逃れることはできず、未曾有の混乱が引き起こされました。...