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徳川慶勝

尾張藩14・17代藩主。美濃の高須藩主松平義建の次男として生まれるが、尾張徳川家の養子となる。尾張藩主として登用人事、緊縮による財政再建など、藩政改革を積極的に行った。いっぽうで鎖国攘夷の思想により、井伊直弼から退隠を命じられる。その後、井伊直弼が「桜田門の変」で暗殺されたことを期に放免となる。京都へ頻繁に出向いて朝廷側の信頼を得ると、幕府との連絡係として活躍し、第一次征討総督となる。尊王攘夷派として、周辺諸藩を勤王へ導く役割を果たす。

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