フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー > 

三島通庸

幕末から明治時代にかけての武士(薩摩藩)、官僚。尊王攘夷運動、戊辰戦争で活躍。その功績が認められ、1871年に東京府参事となり、東京銀座煉瓦街建設など都市計画の行政側の責任者となる。その後、鶴岡県(酒田県)・山形県令に就任。公共施設の建築などの都市整備事業や、道路開通・橋梁などの整備事業、米沢製糸場建設など、多くの実績を残し、山形県の振興に尽力した。

三島通庸の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

1〜3件を表示 / 全 3件

山形歩兵第三十二連隊が山形県にもたらしたもの~満州戦や沖縄戦にも派遣された部隊~

山形市民の憩いの場となっている山形城跡には、かつて大日本帝国陸軍の歩兵第三十二連隊が駐屯していました。軍は市の近代化の一翼を担っていました。...

那須野が原の大開拓~不毛の原野が酪農王国に変貌~

江戸時代までは不毛の土地であった那須野が原では、明治になると華族や民間結社による開拓が始まります。20世紀後半には、全国でも屈指の酪農王国となりました。...

栃木県庁移転の裏にあったものは?三島通庸によってなされた栃木から宇都宮への強行移転

明治に誕生した栃木県は、当初、栃木町を県庁所在地としていましたが、三島通庸が県令になるやいなや宇都宮に移転。そこには、さまざまな思惑が秘められていたのです。...