日本のお城と武将たち~名城はいかにして築かれ落城したか~
中世から戦国時代にかけて数多くつくられた日本のお城。ピーク時には数万の城があったといいます。 日本のお城は、単に居住するだけでなく、戦時の防護という役割が強く、そのため城と運命をともにした武将も城の...
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室町時代に、関東地方に割拠した上杉氏の諸家のひとつ。戦国時代に河越城に本拠を移し、武蔵国を拠点とする大名となり、南関東に勢力を拡大した。上杉重顕の弟・上杉憲房の諸子から出た諸上杉家と同じく、鎌倉公方(関東公方)に仕えて鎌倉の扇谷(現:鎌倉市扇ガ谷)に居住したことから扇谷家の家名が起こった。1546年、河越城の戦いで滅亡したとされている。
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中世から戦国時代にかけて数多くつくられた日本のお城。ピーク時には数万の城があったといいます。 日本のお城は、単に居住するだけでなく、戦時の防護という役割が強く、そのため城と運命をともにした武将も城の...
鎌倉公方と関東管領の対立から享徳の乱が勃発すると、古河公方と堀越公方、堀越公方を支援する山内・扇谷の両上杉氏が並び立つ大規模な争乱に発展。その後、両上杉氏の対立も起こり、関東地方は長い戦いの時代が続き...
関東管領の上杉氏のうち犬懸家と山内家が競り合うなか、関東管領を罷免された犬懸家の上杉禅秀がクーデターを起こします。最初は禅秀方の優位に展開しましたが、幕府が追討軍を出すと禅秀は自害に追い込まれることに...
徳川家康が江戸に入る以前に江戸城を築いていた太田道灌。 武将としての武勇伝が伝わる一方、文人としても優れていた道灌の事蹟に迫ります。...
難攻不落と謳われる鉢形城は、たびたび争乱の場となりました。 そのなか、築城した長尾景春と陥落させた太田道灌による争いの背景を探ってみましょう。...
源頼朝に協力した武蔵武士たちは、権力争いに巻き込まれていきます。 中世の埼玉県域は、権力者に翻弄され続け、まさに争乱の地となっていきました。...
戦国大名の先駆的な存在・伊勢盛時(北条早雲)の宿敵だったのが、三浦半島で水軍を擁した三浦氏。 彼らは、どのような一族だったのでしょうか。...
後北条氏は小田原城を拠点として、またたく間に勢力を拡大していきました。 後北条氏独自の支配体制と、難攻不落と謳われた小田原城の真の姿とはどんなものだったのでしょうか?...