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物部守屋

飛鳥時代の有力豪族。572年、敏達天皇(びだつてんのう)の即位に伴い、天皇の補佐を行なう“大連(おおむらじ)”に任じられた。日本に伝来した仏教に対して、物部氏は強硬な廃仏派で、崇仏派の蘇我氏と対立。そんな中、敏達天皇が崩御。大臣・蘇我馬子(そがのうまこ)が推す用明天皇が即位したため、守屋は敏達天皇の異母弟・穴穂部皇子(あなほべのみこ)と結んだ。587年、『丁未の乱(ていびのらん)』(物部守屋の変)が起こる。馬子と守屋が戦い、物部氏が滅ぼされた。

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