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源頼朝

言わずと知れた鎌倉幕府の創設者。平治の乱に敗れた後、20年も流人生活を送ってたが、平氏打倒の兵を挙げ、リベンジに成功、武家政権を樹立。しかし、その絶頂のときに急死。

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鎌倉時代を深める。150年続く鎌倉幕府は、おおよそ執権北条氏の治世だった

鎌倉時代、鎌倉幕府は源頼朝が興したものですが、源氏の直系は3代のみ。 頼朝死後の2代目以降は、ほぼ北条氏が執権として政権を掌握しました。 北条氏のもとで本格的に稼働した武家政権とは、どのような歴史...

平家滅亡はいかにして起こったか?西海に追いつめられ平家一門の最期の地となった「壇ノ浦」

日宋(にっそう)貿易で財を成し平清盛が太政大臣(だじょうだいじん)になるなど栄華を極めた平家一門でしたが、清盛の死後程なく滅亡しました。平家は、なぜ滅びなければならなかったのでしょうか。...

【中世期の出羽国】鎌倉御家人が地頭として進出!次第に激化する権力争いのゆくえ

鎌倉時代以降、出羽国内に入部した関東御家人が土着していきました。やがて彼らがそれぞれ勢力拡大を目指し、争いを繰り広げるようになっていきます。...

名族宇都宮氏の栄枯盛衰~宇都宮氏の依頼で『小倉百人一首』はできた?~

平安時代後半から室町末期まで、400年以上にわたって宇都宮周辺を支配した豪族・宇都宮氏は、『小倉百人一首』の成立にも関わった文化人武士の一族でした。...

下野国の中世史~足利氏には2つの流れがあった!鎌倉幕府と下野御家人の関係~

平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、下野の武士団は源平の覇権争いや鎌倉幕府に大きな影響を与え、さらにここから室町幕府を開く足利氏が台頭します。...

源義経の悲劇を倶利伽羅峠と安宅関で辿る!「判官贔屓」はここから生まれた

源義経ゆかりの場所は北陸に多く残ります。 源平が戦った倶利伽羅峠や『勧進帳』の舞台となった安宅の歴史に触れれば、源義経の悲劇に満ちた人生が見えてきます。...

奥州合戦へもつれ込んだ源氏の兄弟喧嘩~源義経を兄の頼朝が排斥した理由とは?~

源頼朝は源平合戦で大活躍した弟義経を自害に追い込んだ後、奥州藤原氏を討つべく、自ら進軍します。源義経をかくまっていた藤原氏は巨大な地方政権でした。 【要点はココ】 ◎源頼朝は源義経を快く思って...