奥山荘をめぐる和田氏一族の争い~勝訴のきっかけとなった『波月条絵図』とは?
中世の越後国に成立した荘園・奥山荘は、三浦和田氏の所領でした。この三浦和田氏における所領相続問題の最中に『波月条絵図』は生まれます……。...
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中世の越後国に成立した荘園・奥山荘は、三浦和田氏の所領でした。この三浦和田氏における所領相続問題の最中に『波月条絵図』は生まれます……。...
中世に軍事拠点として数々の城が築かれますが、近世に入り世の中が安定すると、城下町の整備が活発になります。近世初期、県域の城下町は山形と米沢のみでしたが、最上氏が改易となり、最上氏の重臣が住んでいた鶴岡...
鎌倉時代以降、出羽国内に入部した関東御家人が土着していきました。やがて彼らがそれぞれ勢力拡大を目指し、争いを繰り広げるようになっていきます。...
豪族によって治められていた秋田の地に、武家が入部していました。 政治的大転換を迎え、秋田県域では武士が支配権を巡って争うようになります。...
奥州藤原氏は独自の勢力を確立しましたが、源頼朝に滅ぼされます。 その後、奥州では幕府権力の後ろ盾を得た勢力が割拠することになります。...
16世紀、西欧はアジアに植民地を得て、日本まで交易圏を広げてきました。 鹿児島県域は南の玄関口として、南蛮人を受け入れていったのです。...
中世の鹿児島は島津氏によって支配されました。 その島津氏もつねに盤石だったわけではなく、内紛を乗り越えて戦国大名化したのでした。...
古くから中国との交易があった南薩エリア。 なかでも坊津は遣明船の寄港地として栄えていました。 枕崎港が今の賑わいを得るまでの道のりを探ります。...
12万を超える幕府軍を相手に、88日間におよぶ籠城戦が繰り広げられた島原・天草一揆。 舞台となった原城跡の発掘調査で、当時の城の様子や籠城生活の一端が見えてきました。...
江戸時代の長崎は特殊な町。 外国貿易で財をなした町人が力をつけ、自治組織により事実上、町を支配しました。 例外的な発展を見せた長崎の特殊性とは何だったのでしょうか。...
小さな漁村でしたが、ポルトガル船寄港地になり栄えた長崎。 一時期イエズス会領になった歴史の裏には、弱小戦国大名として生き残りをかけた大村純忠(すみただ)の策がありました。...
ポルトガルとの貿易やキリスト教の布教拠点として栄えた平戸。 その陰には、当時領主だった松浦隆信の尽力と、松浦隆信の庇護を受けた倭寇(わこう)の頭目の姿がありました。...
鷹島は鎌倉時代に2度にわたった元寇(げんこう)(蒙古襲来(もうこしゅうらい))の激戦地のひとつ。 神風によって沈んだ元の軍船が残る「鷹島神崎(たかしまこうざき)遺跡」の調査で、戦いの詳細がわかってき...
嚴島神社や、島内最高峰である弥山など、島全体の14%が世界遺産に認定されている厳島。 平清盛はなぜ、この島に嚴島神社を造営したのでしょうか。...
戦国武将である毛利元就の孫・毛利輝元は、土地が狭く地盤の弱い三角州の上に、広島城を築城しました。 全ては、城下町を経済的に発展させるためです。...
安芸の国人領主・毛利弘元の次男として誕生した、毛利元就(もうりもとなり)。 27歳で家督を継ぎ70歳で中国10カ国を平定するまでは、苦労の連続でした。...
2019年に開港から850年を迎えた尾道市。 開港以降、港町の繁栄を築き上げた商人たちと、今なお多く残る寺院との関わりは深いのです。...
中馬とは、江戸時代に信濃で発展した荷駄(にだ)の運送方式です。利便性が高く、広範囲に普及していきますが、いさかいの元にもなっていくのでした。...