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戦国時代の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

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芥川山城~戦国を彩るも、戦乱の中で失われた大阪府の名城

大阪府の城といえば、 天守のある大阪城と岸和田城、 そして幕末まで藩が存続した高槻城の名があがります。しかし戦国時代までは、 もっと多くの城があったのでした。...

徳川家康がしたこととは?「時」が来るまで自分の持ち場で最善を尽くす!後世にも残る徳川家康の仕事

約260年続いた泰平の世、江戸時代の基礎を築いた徳川家康。 「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」とは徳川家康の性格を表しているとされる有名な句ですが、彼はただ待っていたなんてことはありませんでした...

根来衆と雑賀衆の最新兵器鉄砲の威力をいかした戦法!

1543年に日本へと伝来した鉄砲。これをいち早く導入したのが和歌山の寺院「根来寺」でした。そして、鉄砲を主力とした傭兵集団も存在したのでした。...

藤堂高虎は築城の名人だが、主君を7回も変えていた!

戦国大名の藤堂高虎は主君をたびたび変えて出世していきます。最後の主君である家康からは全幅の信頼を得て、幕末まで続く津藩の礎を築きました。...

九鬼嘉隆は「海賊大名」!海上の城と鉄甲舟の秘密

荒れる熊野灘を制して海を支配した、戦国大名の九鬼嘉隆。尾鷲の九鬼から大王崎、鳥羽へと拠点を移して活躍した軌跡をたどります。...

村上海賊が瀬戸内海で活躍し海上交通の安全を保障していた

古くから交通の要衝として栄えた瀬戸内海。村上(むらかみ)海賊は航行する船から通行料を徴収し、その対価として海上の安全を保障する関所のような役割を担っていました。...

鳥取城を「飢え殺し」にした羽柴秀吉の攻めは飢餓地獄を引き起こした

飢え殺しといわれるほど凄惨を極めた織田軍による毛利軍への鳥取城攻めは、羽柴秀吉の狡猾な策謀がいかんなく発揮された戦いでした。...

「姉川の戦い」と「賤ヶ岳の戦い」戦国の二大合戦は滋賀県が主戦場!

戦国時代に滋賀県で起こった二大合戦といえば「姉川の戦い」と「賤ヶ岳の戦い」です。誰と誰が争い、どこが戦場となったのか、おさらいしていきましょう。...

大内義隆が家臣の陶隆房に討たれたのはなぜ?戦国時代の山口で発生した謀反の経緯

本能寺の変より30余年前、山口でも謀反が発生しました。討たれたのは大内義隆(おおうちよしたか)、討ったのは大内義隆に重用されていた陶隆房(すえたかふさ)(後の陶晴賢(はるかた))です。...

加藤清正が「セイショコさん」と呼ばれ、 今でも熊本県民に慕われるワケは?

虎退治で知られる加藤清正は、熊本の人々にとって、今でも心の大きな支えとなっています。加藤家の菩提寺・本妙寺で行われる頓写会(とんしゃえ)とは?...

肥後国衆一揆で豊臣秀吉の九州統一の功労者 佐々成政を切腹に追い込んだ

豊臣秀吉の九州統一で、九州の戦国時代は終焉を迎えました。その歴史の転換期、日本中が混乱する中で熊本ではいったい何が起きたのでしょうか?...

大友氏の壮絶な家督争いとは?~肥後を支配した守護代の骨肉の争い

戦国時代、豊後(ぶんご)・筑後(ちくご)・豊前(ぶせん)・肥前(ひぜん)・肥後(ひご)・筑前(ちくぜん)の6ヶ国を領有し、支配した守護職・大友氏の、血を血で洗う骨肉相食む争いの行方は⁉...

懐良親王の征西府跡は?~熊本の南北朝時代を象徴

南朝・北朝の激戦の舞台となった八代地方には今も当時の遺跡が数多く残ります。征西府と古麓城が時代と共にたどった数奇な運命とは?...

菊池氏は450年にわたって菊池を支配した大豪族!その功績は?

菊池市内に残る守山城跡と18の外城跡は、「勢いいかめしき兵」と謳われた菊池一族の強さの象徴でもありました! その菊池一族がたどった歴史とは?...

津軽氏は津軽為信の時代に北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた

青森県域の戦国時代には、南部氏が一大版図を築きます。その南部氏に反旗を翻して、津軽地方で独立を果たしたのが津軽為信でした。...

【新潟の江戸時代】小藩分立に新田開発、そして海外向け港の開港など話題がたくさん

江戸時代に越後国内には小藩が分立しました。そして沼地の多い越後平野は、この時代に農地へと開拓されていくのでした。...

御館の乱が勃発!上杉謙信没後に上杉景虎と長尾景勝ふたりの養子に起こった家督争い

上杉謙信によって上杉氏は一大勢力を築きます。しかし、謙信の没後に後継者争い(御館の乱)が勃発。戦国時代後期に越後国内は大きく揺れました。...

最上氏の栄枯盛衰~伊達氏とはライバル関係にありながらも出羽を統一した武家~

斯波兼頼を家祖とする最上氏は、室町時代から戦国時代にかけて伊達氏と争っていました。そして「奥羽の驍将」と呼ばれた義光の代に最盛期を迎えます。...

【中世期の出羽国】鎌倉御家人が地頭として進出!次第に激化する権力争いのゆくえ

鎌倉時代以降、出羽国内に入部した関東御家人が土着していきました。やがて彼らがそれぞれ勢力拡大を目指し、争いを繰り広げるようになっていきます。...

甲府城の歴史~徳川家康に対抗するために築城された!

甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。 関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたこの城はどのようなものだったのでしょうか。...