梅田や大阪城はどう変わった? 古地図から見る街の移り変わり
「紙地図をたどれば、その町の歴史や人の営みが見えてくる」 実在しない都市の地図を描く、空想地図作家の今和泉隆行さんはそう言います。そんな今和泉さんに、今回は大阪市の変化について語っていただきまし...
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「紙地図をたどれば、その町の歴史や人の営みが見えてくる」 実在しない都市の地図を描く、空想地図作家の今和泉隆行さんはそう言います。そんな今和泉さんに、今回は大阪市の変化について語っていただきまし...
「紙地図をたどれば、その町の歴史や人の営みが見えてくる」 実在しない都市の地図を描く、空想地図作家の今和泉隆行さんはそう言います。そんな今和泉さんに、今回は神戸市の変化について語っていただきまし...
女王卑弥呼が統治する邪馬台国はどこにあったのか――。 古代史最大の謎のひとつである邪馬台国の所在地については、畿内説と九州説を中心に論争がなされてきましたが、結論はいまだに出ていません。 しか...
規模では全国で1位の仁徳天皇陵古墳、2位の応神天皇陵古墳は、百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)に属しています。そのほかにも両古墳群の範囲外にも大阪には、巨大古墳は存在しているのです。...
江戸時代、大坂に集められた物資は、大消費地である江戸へ船で運ばれました。その貨物船を「廻船」といい、とくに木で組んだ菱組格子を装飾としたのが菱垣廻船です。...
現在は世界第2位に甘んじていますが、 かつては世界最長を誇っていた大阪モノレール線。さらなる延伸が計画され、 主要交通機関への進化も見込まれています。...
大阪府の城といえば、 天守のある大阪城と岸和田城、 そして幕末まで藩が存続した高槻城の名があがります。しかし戦国時代までは、 もっと多くの城があったのでした。...
東大阪市の鴻池元町(こうのいけもとまち)は江戸時代まで大きな池でした。その跡地は町人によって干拓され、 甲子園球場の約47個分にも相当する広大な新田となっていきます。...
大阪湾の南東にある海岸線は、 江戸時代から第二次世界大戦後までの開発で、多くが人工海浜となりました。 現在、自然のままに残っているのは岬町の2カ所、小島海岸と長松海岸だけです。...
天王寺区には日本で最大・最古の軍人墓地がある。 数多くの軍関係者が祀(まつ)られていますが、 その存在は大阪府民でも知らない人が多いといわれています。...
住之江区北加賀屋には、 一風変わったイベントスペースがあります。 明治の終わりに設立された造船会社の工場跡地がアートの聖地へと変貌した経緯をたどりましょう。...
藤原京(ふじわらきょう)は10年で打ち捨てられ、710年、新たに平城京(へいじょうきょう)が建設され、奈良時代が始まります。唐(とう)都長安(ちょうあん)が新都のモデルとなった平城京は、住人の約7割を...
遷都、現代でいえば首都機能移転問題。今日も様々な角度から問われている難題のひとつです。古代には、天皇が変わる度に遷都が行われている時期がありました。また、当時の権力者の理想を追って断行した時代もありま...
鎌倉時代、鎌倉幕府は源頼朝が興したものですが、源氏の直系は3代のみ。 頼朝死後の2代目以降は、ほぼ北条氏が執権として政権を掌握しました。 北条氏のもとで本格的に稼働した武家政権とは、どのような歴史...
栽培に適した温暖な気候と地形、藩の政策などにより、みかん王国となった和歌山県。しかし紀伊国屋文左衛門の命がけの運送も忘れてはいけません。...
和歌山県が生んだ博物学の巨匠・南方熊楠(みなかたくまぐす)は、地域の自然保護にも力を注いだ、「エコロジー活動」の先駆け的存在でした。...
1543年に日本へと伝来した鉄砲。これをいち早く導入したのが和歌山の寺院「根来寺」でした。そして、鉄砲を主力とした傭兵集団も存在したのでした。...
江戸時代までの熊野三山では、究極の苦行と呼ばれる仏教儀式「補陀落渡海」(ふだらくとかい)が行なわれていました。那智の僧侶が単身で海原に旅立った理由とは何だったのでしょう?...
長浜市虎姫(とらひめ)地区には、田川の氾濫を防ぐために作られた「田川カルバート」があります。「川と川が立体交差」するこの場所の工夫とは?...