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上野の山にあった博物館動物園駅 その誕生秘話【東京都台東区】

オフィス プラネイロ

更新日: 2023年11月24日

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上野の山にあった博物館動物園駅 その誕生秘話【東京都台東区】

上野の山には、今も昔も様々な施設があり、訪れる人を楽しませてくれます。その一角に、時代の流れに取り残されたように、ひっそり消えた地下駅がありました。古地図さんぽ、今回は、そのたどった道のりを振り返っていきます。

冒頭の画像:大東京三十五區「上野動物園」(1932年 主婦之友社刊)  東京都立図書館TOKYOアーカイブ所蔵

1968年上野公園付近 トロリーバスと見慣れない駅がありました

1968年上野公園付近 トロリーバスと見慣れない駅がありました
1968年昭文社刊行「台東区全図」より

こちらは1968年の台東区地図の一部。上野公園と国鉄(現・JR東日本)上野駅周辺です。当時はまだ東北・上越新幹線はありません。上野駅は、東北地方からの「北の玄関口」として多くの長距離列車が発着し、活況を呈していた頃でした。

周辺に目を向けてみましょう
大きな池「不忍池」の西側には、未開通の鉄道線と「地下鉄九号線(44年6月開通)」の文字があります。
この路線、営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線大手町駅~北千住駅間が開通したのは、実際には1969(昭和44)年12月のことでした。

もうひとつ。池の脇の不忍通りには、東京都営トロリーバス※1)の路線が描かれています。
「上野公園」「茅町」などの停留所があるのが、おわかりでしょうか。

※1:トロリーとは集電装置の意味。トロリーバスは、無軌条電車ともいい、架線から電気を集めモーターとタイヤで走る。

1968年昭文社刊行「台東区全図」より トロリーバス用の「記号」がある

この、風変りな電車とバスを足して割ったような乗り物、法律上は鉄道として扱われるため、見た目はバスなのにナンバープレートはありません。路面電車より建設費が安価で、電気で駆動する経済的な輸送手段として、昭和初期より各地で導入されました。

東京都営としては1952年に開業し、池袋駅~品川駅など最大4路線が営業していました。が、自動車の普及が進むと、交通渋滞の要因とされたことなどから、都電(東京都電)と共に順次廃止されていきます。この地図の路線は、上野公園を起点に浅草、亀戸を経由して今井(江戸川区)までを結んでいました。最後まで残っていましたが、この地図が発行された1968年秋に廃止され、バスに置き換えられています。東京では僅か15年ほどの活躍でした。

このエコの先駆けのようなトロリーバス。現在国内で乗車できるのは、立山黒部アルペンルートの1区間のみとなっています。

最初の地図に戻りましょう。上野公園の一部を拡大してみました。
国立博物館の脇を、京成電鉄がトンネルで通り抜けています。その上に「動物園前」駅なるものを見つけました。

この駅、公園利用者には大変便利な場所にあるのですが、現在の地図には存在していません。
どのような経緯で駅ができて、何故消えてしまったのでしょうか。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。

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