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源義経の悲劇を倶利伽羅峠と安宅関で辿る!「判官贔屓」はここから生まれた 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

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源義経の悲劇を倶利伽羅峠と安宅関で辿る!「判官贔屓」はここから生まれた

源義経ゆかりの場所は北陸に多く残ります。
源平が戦った倶利伽羅峠や『勧進帳』の舞台となった安宅の歴史に触れれば、源義経の悲劇に満ちた人生が見えてきます。

源義経とは

源義経の足跡や言い伝えは、義経伝説とまで言われて各地に残ります。義経は、源頼朝とは母違いの兄弟でした。平治の乱で父・義朝が敗死したため、牛若丸と名付けられ京都にある鞍馬寺へ預けられますが、僧になることを嫌がり、奥州藤原氏の庇護を受けました

頼朝の初挙兵の際には義経が馳せ参じ、兄弟は対面を果たしたといわれますが、それまでの義経の人生に関する史料はなく、不明な点が多い人物でもあります。

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