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「ヴェルサイユ宮殿」の歴史~パリオリンピック馬術会場周辺エリアは、世界一華麗なバロック建築美術の集大成 ヴェルサイユ宮殿・中央本館正面(123RF)

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年5月16日

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「ヴェルサイユ宮殿」の歴史~パリオリンピック馬術会場周辺エリアは、世界一華麗なバロック建築美術の集大成

2024年パリオリンピックが行われるフランスの世界遺産といえば、このヴェルサイユ宮殿。パリオリンピックではヴェルサイユ宮殿に、馬術競技の仮設施設が設置されるということで、世界中から注目を集めています。華麗な世界遺産の中で行われる馬術競技風景は、パリオリンピックの中でも記憶に残る絶景となることでしょう。
2024年のパリオリンピックで大きな注目を集める、ヴェルサイユ宮殿の歴史と見どころをご案内します。

【ヴェルサイユ宮殿の歴史】危機の時代に生まれた宮殿とルイ14世

世界一華麗とも称されるヴェルサイユ宮殿は17〜18世紀フランス・バロック建築・美術の集大成といわれ、各国の宮殿が模範としました。1979年、ヴェルサイユ宮殿は、庭園とともに世界遺産に登録されています。豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿ですが建設された当時は、どのような社会状況だったのでしょうか。

大航海時代に伴う西欧の経済成長は、17世紀前半に終わって不況となり、加えて気候が寒冷化し、凶作・疫病・人口停滞によりヨーロッパ全土が政治・経済・社会的危機に見舞われていました。さらにドイツ=神聖ローマ帝国での新旧教徒の争いは、西欧諸国を巻き込むことになる三十年戦争(1618〜48年)へと発展します。17世紀前半の西欧、400年後にパリオリンピックのある当時のフランスは不穏の渦中にありました。

不穏な時代に生まれたルイ14世

ルイ14世(在位1643〜1715年)が生まれ、前王死別により4歳にして王位に就いたのはそんな時代です。幼い王に代わり国政は母后と宰相マザランが取り仕切りましたが、イタリア生まれのマザランは嫌われ、新旧官僚や貴族らの確執からフロンドの乱(1648〜53年)が勃発、マザラン政治への反発に民衆も加わりフランス全土が内乱状態となりました。パリでも貴族らが蜂起、若いルイ14世はパリを離れ各地を転々とする日々を過ごしました。

転機はマザランの死とともに訪れました。宰相が死んだ1661年、成人していたルイ14世は王自ら政治を行う親政を宣言郊外のヴェルサイユに壮麗な宮殿の建築を開始します。王はパリを嫌っていたのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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