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栃木は鉱物の宝庫だった! 奈良の大仏に那須の金が使われていた!? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2022年5月10日

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栃木は鉱物の宝庫だった! 奈良の大仏に那須の金が使われていた!?

古代の産金から始まり、現在は砕石生産量全国トップを誇る栃木県。県産の石が関東地区のインフラを支えているという、県民も知らない事実がここにあります。

栃木は鉱物の宝庫? かつては金の産出地だった

古代の産金といえば、陸奥国(むつのくに)小田郡(現・宮城県遠田(とおだ)郡涌谷町(わくやちょう))が有名ですが、平安時代に編纂された『東大寺要録』という書物に、下野国(しもつけのくに)と産金にまつわる記述があります。要約すると「天平19(747)年9月に奈良東大寺で大仏(廬舎那仏(るしゃなぶつ))の鋳造が始まりますが、大仏に塗る金がまったく足りませんでした。困り果てた聖武天皇はある日夢でお告げを聞きます。このお告げに従って琵琶湖畔の景勝地に伽藍(がらん)を建て、如意輪法(にょいりんほう)を修めたところ、同年12月、下野国から金が産出したとの知らせが届いた」という内容です。

武茂郷を流れる武茂川の川底から砂金を採取していた

陸奥と同時期に金を産出していたと推察されるのが、当時の那須郡武茂郷(なすぐんむもごう)(現・那須郡那珂川町健武(なかがわまちたけぶ))です。戦国時代に鉱山による産金が始まるまで、我が国で金といえば砂金を指していました。武茂郷を流れる武茂川の川底から「ゆり板」と呼ばれる道具で砂金を採取したため、「那須のゆりがね」という和歌の歌枕にもなった雅な名で、都でも知られていたのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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