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2度の流罪放免ののち身延山に招かれた日蓮聖人

日蓮は、「法華経」の教えによってすべての人々を救おうとしました。災いが起こるのは、人々や幕府の間違った信仰が原因であり、法華経の教えに基づかなければ、さらなる厄災を招くという『立正安国論』を著し、時の権力者であった北条時頼に送ったのでした。

こうした主張は鎌倉幕府の怒りを買い、その結果として、1261(弘長元)年、日蓮は伊豆へ島流しにされました。2年後には赦免となりますが、その後も法華経の信仰こそが人々を救う唯一無二の方法であると主張し続け、幕府の偏った宗教政策や、当時の仏教界の腐敗を厳しく批判しました。

すると、今度は佐渡への流罪となり、そこで4年もの歳月を罪人として過ごすこととなりました。この地において、日蓮は更に思索を深めていき、自身の著作の中で最長にして代表作とも呼ぶべき一編『開目抄(かいもくしょう)』を書き上げています。

その後、佐渡への流刑が赦免となると、1274(文永11)年、日蓮の信者である南部実長の招きによって身延山に入ることになります。

2度の流罪放免ののち身延山に招かれた日蓮聖人

日蓮は処刑されるはずだった!?

日蓮聖人は、幕府や諸宗を批判したことで北条家御内人の平頼綱によって捕えられ、龍ノ口刑場(現在の龍口寺)に護送されます。

首がはねられようとしていたまさにその瞬間、江ノ島の南東から満月のように光る大きな物体がやってきて、太刀を大きく振りかざした武士を直撃、太刀は3つに折れてしまいました。

それを見た武士たちは恐れおののき、処刑を中止。日蓮は殺されることなく、そのまま佐渡への流罪となったという伝説が残っています。

身延山での日蓮宗布教活動

身延山において日蓮聖人は、日蓮宗の総本山となる久遠寺を開き、数多くの書物を執筆し、彼の仏法の重要な法門を説き示しました。これらの書物のうち、『撰時抄(せんじしょう)』『報恩抄(ほうおんしょう)』は、前述の『開目抄』などとともに、日蓮の著作の中で最も重要な5編である「五大部」の一部を成します。

さらに、法華経の講義などを通して門下生を指導し、未来の広布を担う人材の育成に全力を注ぎました。

身延山と日蓮聖人の生涯

1277(建治3)年ごろから病に侵されていた日蓮は、1282(弘安5)年、療養のために身延山を下りて常陸国に向かいましたが、その途中で病状が悪化。武蔵の国池上で61年の生涯を静かに閉じ、遺骨は遺言の通り身延山に奉ぜられました

久遠寺は、その後も日蓮宗の総本山として門下の厚い信仰を集め続けました。日蓮を慕う人々の心の聖地となり、現在も多くの参詣者が訪れています。

身延山と日蓮聖人の生涯

身延山久遠寺

住所
山梨県南巨摩郡身延町身延3567
交通
JR身延線身延駅から山交タウンコーチ身延山行きバスで12分、終点下車、タクシーで15分
料金
拝観料=無料/宝物館=大人300円、高・大学生200円、小・中学生100円/(20名以上の団体は割引あり)

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Part.1 地図で読み解く山梨の大地

・山の都として栄えた甲府盆地はどのようにできたのか?
・富士五湖は富士山の溶岩でせき止められた2つの湖だった!?
・日本一の造形美をつくり出す昇仙峡は何でできている?
・3000年に“2度”の大噴火が生み出した青木ヶ原の樹海
・もうひとつの富士「黒富士」にある燕岩の正体
・富士山文化遺産の構成資産、山梨にある2つの「胎内めぐり」
・「池」だけど「八海」!神秘の風景・忍野八海
・日照時間日本一の秘密は地形にあり!?
・富士川の洪水を防いだ「信玄堤」と「万力林」

…などなど山梨のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 山梨を駆け抜ける鉄道網

・甲州市から山梨市にかけて、中央本線が北に大きく迂回するわけ
・高額運賃の私鉄が国有化の悲願を果たし、現在に至る身延線
・昭和モダンの香りを漂わせ、今も現役の山梨の駅舎たち
・ここは東京?ちょっと意外な丹波山村の公共交通事情
・甲府盆地を走り、「ボロ電」と呼ばれた山梨交通電車線
・実は2つの路線から成り立っている富士急行線
・約2年間だけ標高日本一の駅があった、小海線の山梨県内区間
・6つのスイッチバック駅に助けられ、甲斐路を辿った中央本線
・リニアモーターカーの実験線が山梨にできたわけ
・古くからの富士山吉田口登山道を継承する山梨県道701号

…などなど山梨ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 山梨で動いた歴史の瞬間

・古代 いにしえの八ヶ岳周辺は“星降る里”だった!?
・古代 甲斐銚子塚古墳が東日本最大級なワケ
・平安~中世 武田氏の先祖にあたる戦国エリート「甲斐源氏」
・中世(鎌倉) 日蓮聖人の波乱に満ちた生涯と身延山
・戦国時代 山梨の神!武田氏3代が鎮座した武田神社
・戦国時代 信玄が進み勝頼が広げた武田氏の最大領地は?
・江戸時代 徳川家康に対抗するために築城された甲府城
・江戸時代 幕府直轄地で発展した甲州街道と富士川舟運
・近現代 幕末の財界を牛耳った甲州商人が売ったもの
・近現代 明治40年の甲府の大水害からの復興
・近現代 空港のない山梨県にあった秘密の飛行場“ロタコ”

…などなど、激動の山梨の歴史に興味を惹きつける。

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