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大友皇子は壬申の乱で敗れ伊賀を経て東国へ生きのびた? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年10月5日

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大友皇子は壬申の乱で敗れ伊賀を経て東国へ生きのびた?

伊勢・伊賀も巻き込んだ、古代最大の戦といわれる壬申の乱。敗死したとされる大友皇子の母は、伊賀国の出身でした。大友皇子のその後を考察します。

「采女の郷」の由来となった「采女」とは?

三重県四日市市の南部に采女町(うねめちょう)があり、古くから「采女の郷」という名で知られています。ここは、倭建命(やまとたけるのみこと)(日本武尊)が剣を杖にして歩いた杖衝坂(つえつきざか)があるところです。采女とは、平安時代初期までの古代に、天皇のそばに仕え、食膳の奉仕などをした下級の女官のこと。采女の発祥ははっきりしませんが、地方豪族や国の郡司以上の者は一族の娘を朝廷に差し出し、服従の意を表していたようです。

采女は、容姿端麗さが求められ、『日本書紀』などに「伊勢の国の采女」の話がよく出てくることから、三重県は美女が多かったのかもしれません。伊勢国の采女は、歌舞に長けた者が多いと評価されており、奈良時代に天皇に仕えた、伊勢国飯高郷(いいたかごう)の「飯高諸高(いいたかのもろたか)」という采女は、異例の従三位という高い位を与えられています。

大友皇子VS大友人皇子の「壬申の乱」

飛鳥時代の672年に、大海人皇子(おおあまのみこ)(後の天武天皇)と、大友皇子(おおとものみこ)(弘文天皇(こうぶんてんのう))が天皇の位を争った壬申の乱が起こります。敗れた大友皇子の生母は、伊賀国山田郡の郡司の娘であり、名は伊賀采女宅子娘(いがのうねめやかこのいらつめ)といいます。

壬申の乱は、伊賀国と伊勢国を巻き込みます。吉野に身を隠していた大海人皇子は、わずか20人ほどの従者を連れ、伊賀・伊勢に向けて出発します。伊賀国の阿拝(あえ)、積殖(つみえ)(伊賀市柘植町)で数百人の兵が加わり、鈴鹿の関付近では伊勢国の500人の兵が加わって、桑名に到着。近江、大和、伊賀で争い、最後は瀬田橋(せたばし)の戦いで大海人皇子が勝利しました。大海人皇子を支持した伊勢国司や阿拝郡司たちは勢力基盤を固めたようです。

大友皇子からみて大海人皇子は叔父であり、妻の父でもあった。

大友皇子は戦いに敗れ自害した!?

大友皇子は戦いに敗れ、自害したとされます。母である伊賀采女宅子娘は、郷土の伊賀国大山田へ帰り、わが子の冥福を祈って鳳凰寺(ほうおうじ)を建立したといわれています。この寺は地元で「ぼうじ」と呼ばれ、地名として残っています。

鳳凰寺廃寺跡には現在、薬師寺があります。境内に、鳳凰寺跡の礎石が集められており、鳳凰寺や伊賀采女宅子娘にちなむ出土品は、ここに保管されています。

薬師寺の約1km東に、伊賀采女宅子娘にゆかりがある鳴塚古墳(なりづかこふん)があります。「存命中の天皇による譲位があるたびに塚が鳴る」という伝説から名づけられた前方後円墳で、6世紀半ばごろの築造と推定されています。

伊賀国山田郡のあった伊賀市の北部は壬申の乱で主戦場となった近江瀬田橋と東国へ逃げのびる際に海を渡った白子港のちょうど中間に位置する。
国土地理院標準地図を元に作成

大友皇子の自害身代わり説と生存説

ところで、大友皇子が自害したとされる場所は不明で、乱の後に首が差し出されたとされますが、身代わり説もあります。
また、大友皇子の生存説もいくつか残っています。三河(愛知県岡崎市)には、大友町という地名があり、大友皇子も祭神とする神明社や大友皇子の古墳があります。さらに上総(千葉県君津市)には、大友皇子も祭神とする白山神社や、大友皇子の御陵とする古墳などがあります

大友皇子は生きのびるため、生母の故郷である伊賀を経由して、白子港から三河などへ渡ったと考えられています。そして、三河や上総の人々の間では、大友皇子の伝説が今も受け継がれているのです。

古墳が多い伊賀国

伊賀地域には、大型の前方後円墳が数多くあります。三重県内最大の前方後円墳は、伊賀市佐那具町(さなぐちょう)にある全長188m の御墓山古墳(みはかやまこふん)で、5世紀前半に築かれたとされています。名張市新田の馬塚古墳(うまづかこふん)は全長142m で、周囲には幅12m の濠がきれいに巡っています。ほかにも、殿塚古墳(とのづかこふん)、女良塚古墳(じょろうづかこふん)、毘沙門塚古墳(びしゃもんづかこふん)、貴人塚古墳(きにんづかこふん)や宮山古墳群(みややまこふんぐん)、御旅所古墳(おたびしょこふん)、勘定塚古墳(かんじょうづかこふん)などがあります。この地の豪族の勢力の大きさを物語っているといえます。

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Part.1 地図で読み解く三重の大地

・県民もよくわからない謎 三重県は結局どの地方か?
・三重県を横切る中央構造線 南北で大きく異なる地質
・琵琶湖は伊賀にあった! 古代の地殻変動の痕跡を探る
・赤目四十八滝の独特な地形と生きた化石オオサンショウウオ
・鳥瞰図で見る 昭和初期の赤目四十八滝と香落渓
・2万年前は山だった? 志摩半島誕生の秘密
・若き日の大正天皇も泳いだ! 日本初の海水浴場二見浦
・奥伊勢の香肌峡の不思議 なぜ超硬水が湧き出す?
・飛び地と名勝瀞八丁が複雑すぎる3県境をつくった
・伊勢湾台風のせいで飛び地に? 愛知県に限りなく近い木曽岬町
・世界遺産鬼ヶ城を生んだ巨大な熊野カルデラ火山
・尾鷲の雨量が尋常でないのは海流と大台ヶ原のせい?

…などなど三重のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 三重を駆ける充実の交通網

・伊勢湾を渡って川を越え鈴鹿峠へと向かう東海道
・三重と浜松、大阪がつながる!? 太平洋新国土軸構想とは
・御師の活躍で大いに賑わった内宮と外宮を結ぶ参宮街道
・鳥瞰図で見る 吉田初三郎が描いた約90年前の参宮街道
・初瀬街道の「あお」越えと便利な参詣システム伊勢講
・街道に餅が並んだ理由は? 吉野へと続く鯖&塩街道
・参拝客を運んだ神都線の路面電車 バス路線網で車両が復活!?
・伊勢湾、熊野灘の海運と海上の百貨店赤須賀船
・峠が多い熊野古道伊勢路 戦前にはロープウェイがあった
・つながった南紀への路線 紀勢本線の難工事とは?
・名張と松阪を結ぶはずが……秘境駅だらけな名松線の謎
・東大卒の剛腕社長による英断!? 近鉄を発展させた軌間拡幅工事
・社名がコロコロ変わる養老鉄道 いま何代目? どこが運営?
・貨物輸送の歴史がわかる三岐線の貨物鉄道博物館
・片道135㎞の路線もある! バス中心の三重の交通網

…などなど三重ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 三重の歴史を深読み!

・日本最大の恐竜が鳥羽にいた? ミエゾウから探る古代の三重
・あちこち巡行して決めた! 神宮が伊勢市にあるワケ
・壬申の乱で敗れた大友皇子は伊賀を経て東国で生きのびた?
・50年かけて少しずつ解明 明和町にあった幻の宮・斎宮
・平家のルーツは伊勢にあり! でも、ほんとうは伊賀だった?
・天皇の側近から没落するも明治維新で復活した北畠氏
・伊賀に忍者が生まれたのは修験道の行場が多かったから?
・徳川家康が駆け抜けた? 謎多き伊賀越えルートを歩く
・海賊大名と呼ばれた九鬼嘉隆 海上の城と鉄甲船の秘密
・築城の名人藤堂高虎は7回も主君を変えていた!
・クジで藩の命運が決まった? 幕末・維新の桑名藩の顛末
・津から四日市、そして津へ コロコロ変わった県庁所在地
・鳥瞰図で見る 吉田初三郎が描いた約90年前の津

…などなど、激動の三重の歴史に興味を惹きつける。

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